ダンクが考えていること

ダンクのブログです。考えていること、勉強の記録、読んだ本などについて書きます。

5月のメモ:ブログの赤ちゃん

こんばんは、ダンクです。

ゴールデンウイークが終わったら6月になっていました。不思議ですね。

 

 

ブログの赤ちゃん

「書きたいことはそこそこあるけど、一本の記事にできる気がしないなー」って思いながらブログの赤ちゃん(ネタを忘れないためのメモとブログ下書きの中間)*1を個人用メモに書き溜めていました。

ブログの赤ちゃんはそれなりの数になったのにブログは1か月更新しない体たらくなので、ここでまとめて放流します。

このメモ自体はブログとは関係なく続けている習慣です。社会人になる少し前に始めて、もう5年目!当初は短文のメモとかネタ帳って感じでしたが、今では気が向いたときに書く日記です。

今月のメモを読み返しながら、5月から今日までを振り返ってみたいと思います。

 

注1:気分が動いたときに書いているので、やや気持ちの浮き沈みが激しいです。

注2:人様に見せられる形に改変しています。

注3:日記は「だである調」で、後から足された文章は「ですます」調または口語調ですが、気にしなくていいです。読みづらかったらごめんね。

 

5/1

GW前半

金曜:実家へ
土曜:友人J宅でスマブラして宿泊
日曜:岐阜スマ15
月曜:友人T宅でハトクラ会


岐阜スマの話は単発の記事にしたので読んでくださいね。

dnk.hatenadiary.com

ハトクラは2版発売からかなり遊んでたけど、最近はだいぶペースが落ちてきたかな。ハトクラPCの新版の発売日予告があったらまた再燃するかも。
あっ、昨年末に「来春 アーリーアクセス開始」って告知出してたの、記事書きながら思い出した。俺たちの春は終わらない。

 

5/4

夜の終わりを日の出ととるなら

ポエムを書こうとしたらエッセイのような何かになったもの。『夜の終わりを日の出ととるなら』


夜の終わりを日の出ととるなら、夜が終わった町でたった一人。
徹夜明けの僕だけは夜に取り残されている。


⚫︎夜の終わりを"理解"する

今日と地続きに明日があること、夜の後に朝が来ることはもちろん”知って”いた。
しかし、夜の終わりを初めて"理解"したのは、高専のテスト期間だった。

車の音が聞こえなくなるにつれ高まる背徳感と高揚感、自室でも感じるひんやりとした空気、静寂の町を切り裂く新聞配達のバイク、想像よりもずっと速く登る太陽、昼間よりも元気な鳥の音。
知識では”知って”いても真に”理解"しているとは言えないことが、山ほどあるのだと、あのとき初めて”理解"した。

そして、その中で自分は夜に取り残されていることも"理解"する。

 

⚫︎夜に取り残される

徹夜した日は自分だけが夜に取り残されている。

夜と朝、朝と昼、昼と夜が切り替わる瞬間は、経験に基づく。
人々が朝昼夜をある程度共有しているのは、個人の感覚を外れたた基準(時計)があるおかげである。生活から時計を取り上げたら、朝、昼、夜というものはより曖昧で、属人的になる。

自分にとっての朝昼夜が始まる条件を以下に示す。

  • 朝が始まるのは、夜に寝たあと、目が覚めたら周囲が明るくなっているとき。
  • 昼が始まるのは、陽が出ている環境下で、
    平日・休日問わず、11時以降だと認識したとき(自分の中で「おはよう」と「こんにちは」を使い分けるのがおよそ11時のため)。
    平日は、(現場作業員なので)事務所を出て最初の一仕事を終えたとき。
    休日は、一日で二度目の食事をしたとき。あるいは、起床後、何か作業をした後にその日最初の食事をするとき。
  • 夜が始まるのは、仕事の定時(17時半)。あるいは、日が落ちた後に最初の食事をするとき。あるいは、陽が落ちて空が暗くなっていることを実感するとき。

時折、朝昼夜の判断が世間と大幅にずれることがある。例を示す。

  • 時計がない生活で正午に起きたとする。自分の中ではそれは朝の始まりであり、起床後すぐに摂る食事は朝食である。
  • 昼食を摂らず、時計も確認しないで朝から夜までゲームし続けた日は、朝が終わらないまま既に暗い空を見て夜を実感する。つまり、昼のない日が存在しうる。
  • 徹夜した日は、空が明るくても自分にとって夜は終わっていない。このとき、自分だけが夜に取り残されている。

あなたの夜の終わりはいつですか?

 

手元の本が読めない

自宅は、「やりたいこと」より「楽なこと」をしがちになる。なかなか本が読めない。

読書に一番集中できる場所は図書館だけど、図書館に行くと新しい本を読みたくなる。

茶店に行くと、複数冊の本や事典を並行して読みたいとき、面積・重量的に限界がある。あとお金がかかる。

ちょうどいい解決法はないものか。自宅で集中できるようにするのが最良だろうけど……。

 

5/7

ゲーム&ボドゲ

今日はGW最終日。

昨日の6日土曜、地元の友人で集まってデジタルおよびアナログゲームをした。

「やった」「やってない」などと駄々をこねながらニコロデオン*2を遊んでたら夜になってた。

どうも、パウダードトーストマン改め、コナコナトーストマン使いのダンクです。


その夜、参加者のうち二人と飲酒。時間も遅く、何よりとんでもない雨だったので、気になっている店やオシャな店を諦めてチェーンの焼き鳥屋へ。

そこで、あんまり最近の事情を掴めていなかった友人たちの近況を聞く。うまくいっているようで何より。

 

ブルーマンデー

すこし憂鬱。雨だからか、ブルーマンデーか。


自分のブログに価値はあるのだろうか、とか考えちゃう。

自分の考えをきちんと言語化するのが目的で始めたのだから、日記自体に価値はなくても出力し続けなければならない。もし価値があるとしても、それは後からついてくる。

本を読んだことのアウトプットをブログなどなんらかの形で出力したいが、図書館で借りる本だけでは貸し出し日数の面で限界がある。

本を買いたいが、これ以上支出を増やしたくない。
日常の様々なタイミングで節約して、浮いたお金がわかる形で貯金し、それを書籍の購入資金に充てることで支出の増加を抑えられるのではないか。

外食をやめたら500円、居酒屋を我慢したら3000円。上手くやれれば結構貯まりそう。

 

ネバーランドは現世にあった

普段入り浸っているDiscordの寄り合いについて。

(現実を求めていない知り合い諸氏はちょっと読み飛ばしてください。)

 

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平日も休日も、夜になると誰かがゲームをしている。

この集まりは現世のネバーランド。大人になりきれない成人男性が集まる、地獄のような(やりとりをする)天国。

もちろん全員ではないが、自分は紛れもなくこの一員。アダルトチルドレン万歳。

いずれ、結婚したり社会に適応した人たちはここからいなくなるのだろう。

そのとき、この場にはどれだけ残るのだろう?残った人たちはやがてどうなっていくのだろう?

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そもそも、見知った仲の人たちが毎日集まる場が現世にあること自体、奇跡的だと思う。

こういった場が無い人たちが大量にSNSやVRChat(あれも広義のSNS)に流れている。

VRChatが流行るのは現実のコミュニティに欲求不満を抱えている人が山ほどいるからだと考えている。理由のすべてではないが、大きな要因であることは間違いない。


逆に、自分がVALVE INDEXを即買い*3してまでやりたかった、憧れていたVRChatが長続きしなかったのは、
「Discordのコミュニティがあるからいいや」
って思ったから。(相手の姿が見えないネット上のコミュニケーションが苦手なのも少々あるが……)

 

願わくばずっと存続させていたい、泡沫の夢。

とにかく、所属するコミュニティは大切にしたいですね。

(オタクシェアハウス計画、誰か実現させないかなー)

 

5/9

五月病

GWが終わって、五月病が辛い。頭が動かない、やる気が出ない、息苦しい。

今日が終わってほしいのに明日が来るのが辛いとき、生きるのが嫌になるんだと思う。

ちょっと前までは、始めたばかりの勉強が楽しかったから生きるのも楽しかった。明日が来るのが惜しいくらい今日が楽しかった。

切り抜けたい。

未来に起こる憂鬱に思うことを憂鬱じゃないと思うのが最短か。

以前からよく使う手法。なんとなく憂鬱に思うことについて、なぜそう思うか突き詰めて考える。意外と「大したことないじゃん」ってなることもある。

 

5/12

勉強と研究の違い

Twitterで見た、勉強と研究の違いについて。

大学院という場所はすごく潔い。

どんなによく本を読み、知識を集め鼻高々とそれを話しても、

「それで、私たちの知らないあなたの話を教えてください」

と言われてしまう。それではまるで空っぽを見抜かれるようである。

研究する人たちの興味や問題意識を最大限評価しようというところがフェアであり、その上にある研究活動が求められる場所である。地頭が良いとか要領がいいとか、頭の回転が速いとか、知識をよく記憶できるとか、...
そういうものをもっているかどうかではなく、それは道具であるというのである。
自分自身にあるもので、自分がどう考えていくかという部分にいつも焦点があたっている。

 

 

そのリプライ↓

研究室では、別に暗記王や知識王が偉い(知識が多いに越したことはないが)わけではないんだな、個人としての考察や興味関心と、調べてきたこととのシンクロ具合が見られているんだな、と感じました。


学問そのものについて学問しようとしている(詳細は過去の記事を見てね)けど、土台となる知識がないと何も考えられないよな、と思って色々なジャンルを読み散らかしていたところに刺さった。

↓過去記事↓

dnk.hatenadiary.com

ところで、本を読んで考える営みを、思考の深さを基準に並び替えると、「読書<勉強<研究」だと考えている。

読書を勉強にするには、自分の知識として引き出せるように自分なりに嚙み砕いて理解できたかが重要だと思う。

勉強を研究にするには、勉強して得た知識たち(複数)を自分の問題(テーマ)を解決するように、取捨選択して上手く活用することが必要だと思う。

さっと作ってみた。自分の中での概念図。関係ないけど実際のテトリス盤面は横幅10マス。

今は読書以上、勉強未満ってところか。研究者ってすごい。素人だけど、もっと深い段階までいきたい気持ちはある。難しいけど、頑張るべきところだと思う。
あと、考えたことは即座にメモを取らないと消えていくから、テンポが悪かったり、電車内だったりすると物理的な制限で上手くいかないことがある。

対策をぼんやり考えている。

 

書き散らし

あったかい泥に身体をうずめるような日常

勉強したいことが多過ぎてどれから手をつけるべきかわからない

 

5/21

潮騒

実は海の近く*4に住んでいるんですけど、そういえば引っ越してから約1年、一度も海見に行ってないなぁ、と寝る前に思ったので、翌日さっそく行ってきました。

海なし県で20年以上生まれ育ってきた自分には、一人で水に浸かってもやることが思いつかない。そこで、海といえば、『潮騒三島由紀夫積読)』でしょ、ということで、文庫本を持っていきました。

潮騒とン年ぶりの海岸

岩が積まれて海に突き出しているところ(写真見てイメージしてください。名称不明)に腰かけて、尻と腰がちょうどいいポイントを見つけたら、ひたすら海の音を聞きながら読書。
海からは潮干狩りのファミリーと中国人に、陸からはサイクリングのおっさんに「なにやってんだアイツ」という目を向けられながら読書。

海なし県民の記憶より断然迫力のある波の音と、少し汗ばむくらいの光線を浴びせる青空が物語にマッチして、これまでにない最高の読書体験でした。
普段露出しない腕が日焼けしてしばらくヒリヒリしてたのも、我ながら微笑ましかったです。

 

5/27

五月病(中等症)

重い足取りでホームの階段を上る。
身体の内、または心の内より湧き出るほんのりとした死の気配を感じながら、これからも生きる。

うまく言語化できないモヤモヤをずっと抱えております。
誰もいない部屋とかシャワー中に「ウワーーーーーーーーッ!!!!!」って叫びたくなるようなモヤモヤ。ない?

 

Web小説30年史

図書館で、『Web小説30年史』を読んでいる。

↓読んだ直後の感想↓

bookmeter.com

『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」 (星海社新書)』飯田 一史図書館で一気読み。以前、Web小説が人気になった経緯について調べたことがあったが、知らなかった情報が次々と出てきて面白かった。

なろうとカクヨムの間には得意とするジャンルに違いがあり、それはどのような戦略の違いから生まれたか。
そして、幾つもの小説投稿サイトがなろう・カクヨムのようにユーザーが定着することなく撤退していった理由について掘り下げており、興味深かった。

「Web小説発の書籍を買うのは3,40代」という言説はこの本以外でもよく見るが、ここだけいつも実感と噛み合わなくてモヤる。

 

純文学のジャンルがネット小説に進出していない、という話について。なろうにもカクヨムにも純文学というジャンルは用意されている。

しかし、現実には投稿数が他のジャンルよりも圧倒的に少ないだけでなく、投稿されている作品も純文学がどういったものかいまいちピンときてないものが多い。正直僕もよく知らない。

なんというかこう、「お手本」になるような作品があると、後に続く作家も興味を持つ読者も増える気がする。

文献や先行研究が乏しいジャンルなのに、かなり熱心に調査しており、終始感心しながら読んでいた。

以前調べものをしていたときに見た主張であり、持論でもある、
「書き手も読み手もジャンルのお約束を了解した上で、差分を楽しむ」
というWeb小説の魅力の一つが、ここで裏付けが取れて得した気分。

創作のジャンルについて。

ネット小説では比較的よくある型である「クラス転移モノ」「魔王転生モノ」「悪役令嬢モノ」は、ネット小説投稿サイトの中ではどれもサブジャンルとして定着している。

一方、文芸市場や、一般の文芸作品の読者から見たら、すべてひっくるめて「ファンタジー」か、せいぜい「異世界ファンタジー」と括られるだろう。

この差は、「お約束」が読み手・書き手ともに了解され、差分を楽しむ準備ができているか否か、という形で現れる。

というよりも逆に、類似作品が増えて、差分を楽しむ準備ができたとき、それをジャンルと呼ぶのかもしれない。

 

Web小説をそのまま書籍化すると、一般の読者が「ファンタジー」のお約束しか理解できていないのに、
「ファンタジー」で
異世界ファンタジー」で
「転生・転移モノ」の下位ジャンルである
「クラス転移モノ」
のお約束を知ってる前提で話を進められていることになりかねない。

この温度差や突っ走っている感覚が、一般の文芸作品と比較したときのWeb小説特有の雰囲気なのかもしれない。

現実には、書籍化の際に編集者が指摘して、少なからず表現を変えたり描写を調節するのだろうけど。

 

話は逸れるが、

「Web小説はメディアによって読者層が異なる」

「投稿サイトで読むのは10代~20代で、書籍化作品を買うのは30代以上」

という言説をよく聞く。Web小説ファンならそれなりの人がこの主張を見聞きしたことがあるだろう。

僕は、これに関してずっと懐疑的な態度を取っていた*5が、今日からは概ね同意することにした。

今日(ブログ執筆日)の昼間、ブックオフに行ったのだが、カラフルな背表紙の四六判が並んだノベル棚に群がっていたのは若者ではなく白髪交じりの中年男女だった。

……作品に貴賤はないが、将来あの中に自分がいるかもしれないと考えると、少し思うところがあった……。

 

5/29

紳士と傘

定時後に電車で移動。1時間くらい座りっぱなし。長い。

途中で隣に座ってきた人の話。定年前くらいに見える男性だった。灰みがかった総白髪で褐色の肌でスーツを着ている。身長165cmの自分と比べると、だいぶ大柄だ。スポーツをやっていたに違いない。

ビニール傘のハンドル部分を握り、杖のように床に立てているそのおじさんは、見るからに眠そうで、隣の座席で舟をこいでいるなとすぐにわかった。

一駅ほど進んだ頃、傘をビタンッと倒し、その音で跳ね起きる。傘を持ち直し、また舟をこぎ始めると、今度は石突きを床に滑らせて、それでガクッとなって起きる……と繰り返し、たっぷり5,6ループ披露したのちに、終点で去っていった。

普通にびっくりする音なので周りの注目を集めていたが、最後まで気づいていない風だった。

それなりに身なりのいいサラリーマンに見えたけど、いい歳しても眠くて堪らないようだ。激務なのだろうか。気の毒ではあるが、自分はああなりたくない。

なんとかして有閑階級になりたい。

 

5/31

最悪でも死ぬだけ

気分は相変わらず落ち込んでいる。低気圧か?

いつからだろうか、シャワーを浴びていたり、会社の昼休みに休憩室で横になっていると、癖みたいにふんわりと死にたいと思うようになってしまった。

メンタル上よくないと思う反面、ふと思ったのは、

「最悪でも死ねば終わるんだから、どんな事象にも他人事みたいに接せるし、ハイリスクな選択も機を逸せず、臆さずできる。最悪でも怪我したり借金を背負うだけだし、どうしようもなくなっても死ぬだけだし。」

みたいな思考。リセットボタン、あるじゃん!

 

変な方向にポジティブかも。

 

6/3

それは「『”趣味を消費している自分”をメタ認知して律する自分』を消費している」だけではないか?

用事があって名古屋に行った。

一人になった後、いつもなら喫茶店か飯でも食べていくところだけど、栄のブックオフに寄った後、名駅まで歩いてそのまま帰った。

ここしばらくの浪費癖を反省して節制志向に傾いているのと、『暇と退屈の倫理学』の“消費”の話を読んで、趣味の飲食店開拓に対して一歩引いた目で見てしまうようになったのが合体して、有体に言えばかなりケチになっている気がする。

我ながら一人でエスカレートしやすい傾向があると思う。ネトゲスマブラにハマったのもこのおかげに違いない。損することはあるけど、嫌いではない。

 

おわり

以上です。

気分が乱高下していますね。

キリがいい5月31日で切らずに今日まで入れてよかった。月末が暗すぎる。

きっと、すべて五月病のせいです。

 

それでは、6月(休祝日なし!梅雨!低気圧!)も、みなさん元気にいきましょう。

 

 

海の日、早くこねーかな

 

*1:ネーミングはカードゲーマーが言う「デッキの赤ちゃん」を拝借しました

*2:正式名称は『ニコロデオン オールスター大乱闘』スポンジボブとかタートルズが出るスマブラライクのゲーム。スピード感がスマブラDXに近く、慣れたらクセになる。

*3:16万。正直あまり使ってない。使用時間あたりの価格は自分の買ったもので最高クラスだが、後悔はしていない

*4:自転車で20分くらい

*5:理由は単純で、Web小説の書籍化作品を読む大人を見たことがないから。