どうも、ダンクです。
試験が終わりました。これで自由。
電車で1時間半の移動中、アルコールの回った頭でTwitterを眺めていたら流れてきた、「代々木の仙人」について。
わたしの未来、多分これ pic.twitter.com/0FoQEELraV
— 炭酸水 (@soda_swi) 2024年7月17日
どうも、2017年と今年の3月ごろにテレビの取材があったようで、当時は少し話題になったらしい。
自分は今日初めて知り、衝撃を受けた。
代々木の仙人の生活
七十数年の生涯で2,3年しか働いたことがなく、親が遺してくれた貯金で、今でいう引きこもりの生活をしている。
朽ちかけたゴミ屋敷のような家に住み、家電の類はほとんど壊れ、納豆やきゅうり、オレンジ等だけを食べて生きている。
専ら読書をしているが、得た知識を社会に反映させる気は無く、そんな生活にある程度は満足している。
「代々木の仙人」は私のロールモデルとなり得るのか?
代々木の仙人のインタビュー動画を見た。
↓こちら↓
www.youtube.com
彼は「落ちこぼれだった」が、豊富な読書量からくる卓越した知識を持ち、哲学や社会の仕組みについて持論を展開することができる。
代々木の仙人は、ある意味では私の(私たちの?)ロールモデルとなり得る生き方をしている。本を読み耽り、社会に対して達観した態度を取り、世の中で(本人曰く「官僚によって」)引き起こされている諸問題について確固たる意見を持てる生き方は、明確な教養人のそれである。
しかし、彼が典型的な教養人の振る舞いをしているにも関わらず、代々木の仙人のインタビューを見て、私はあまり羨ましく思えなかった。
何故か?
彼が社会的な弱者であることを差し置いても、根拠薄弱だが個人的には看過できない点が一つ。
それは、「彼の言葉は経験に根ざしていない」気がする。
なんとなく、彼の発言が浮き足立っているように思える。なんだか重みがない。それが、言葉の端々から感じ取れる。
彼が動画で語っていた、「ロシア人は天才だ。革命が失敗することを予期しつつ、それを支持していたからだ。」という発言について根拠を求めたとする。
恐らく彼は本棚から溢れ出る書籍の中から、参考になるものを数冊出してくれるだろう。
しかし、私が「人生経験においてそれを実感したことはありますか?」と聞いたら、きっと彼は答えられないだろう。
もしそうなら、自分の信じたい知識だけを仕入れて持論を構築する、確証バイアスだかエコーチェンバーだかの虜になっていないとどうして言えようか。
実際に話したことはないし、全く確かではないが、そう聞こえる。直感がそう告げている。
なんだか、「代々木の仙人」の発言には、そんな軽さがある。ボディビルダーのように美しく鍛えているが、建築家の重労働には耐えられないような、脆さがある。
有り体に言えば、「高尚だけど、なんだか薄い」そんな気がするのだ。
この主張は、話している理論立てて話す人に対して「なんか気に入らない」とお気持ちで反発する人と何も変わらないかもしれない。
また、実際に経験に基づいた知識を披露していた際には完全に瓦解するものである。
それでも、この気持ちはきっと間違いではないと思いたい。
正直、魅力的ではある
それでも、心のどこかでは彼の生き方を羨ましく思う自分がいる。
本を読み、「1人で寂しくて心地良い」緩やかで退廃的で円熟な最期を迎える生き方に惹かれる部分もある。
理性的には「彼のように本で得ただけの知識や、経験に根ざしていない知識を語る、頭でっかちな人間ではありたくない」と思うが、一方で「彼と同じように教養人ぶって朽ちていくのもまた本望である」という気持ちも確かにある。
以上、代々木の仙人という、劇薬のような方の話でした。
一度、彼のインタビューを見てみてください。