ダンクが考えていること

ダンクのブログです。考えていること、勉強の記録、最近あったことなどについて書きます。

最近考えていること:生きがいとは何か?

一日の中で最も内省的なのはシャワーを浴びているときです。

ここ最近、自分の趣味・意欲の源泉についていつも考えています。
自分が本当にやりたいことは何か?それはどこに魅力を感じているのか?


ずっと考えていたら、時折、「生きがいとは何か?」という一般的な問いに落ち着きます。


今日は、浴室で書いていたメモをまとめ、加筆しました。
(自分は風呂で何か思いついたときのため、壁にKaiteという磁性メモパッドを貼りっぱなしにしています。使用感はまあまあ。*1

結論は出ないですが、現時点で思いついたところまで書き残します。


生きがいとは何か?

↑陳腐だが重要だと思う。 ←なぜか?
大辞林を引いてみた「生きるに値するだけの価値。生きていることの喜びや幸福感。」

なぜ生きがいが重要なのか?

生きがいがないと退屈で、日々を無気力に生きることになる
天井だけ見て休日を過ごすことに耐えられない


なぜ日々を浪費することが耐えられないのか?

休日や退勤後を充実させないと、平日の労働が苦しくなってしまうから
労働への意欲を休日に補充しているから
(なんのための労働か?いつ使うための金を稼いでいるのか?将来といっても具体的実感はない。実際はきっと休日を楽しく過ごすためだろう)

働かなければ休日(日々)を無目的に(無気力に)生きても幸せか?

自分は無職になった経験がないためわからないが、想像する。

  • 「時間が無限にある」という幻想から醒めなければ幸せでいられるかもしれない(自分が社会人になってゲームに夢中になれなくなったのは元を辿ると時間的制約のため)
  • 社会から切断され、個人的な目標を追いかけるのは幸せかもしれない

note.com
ただ、どこかで誰かと繋がっていないと、自分は孤独感で狂ってしまいそう。一人は好きだけど、ずっと孤独なのは苦しい。
いくらカッコつけて孤高ぶっても、自分を理解してほしいという願望は本能に近く抑えられるものではない。

もちろん孤独感を埋めるのは仕事である必要はないし、仕事で孤独感が埋まるとは限らない。
とはいえ、仕事の一側面として社会との接点を維持するという役割があると評価しているので、代替手段が見つかるまでは仕事がある前提で考えるべきだと思う。


「生きがいとは何か?」 まず思いついたこと

「生きがいとは何か?」という問いに対し、答えになりそうなものの条件
  • それが無ければ(奪われたら/失ったら/達成したら)死んでもいいと思うもの
  • 掛け値なしに好きと言えるもの
  • 人生をかけて達成したい目標、極めたい技術
  • 「気晴らし」的行為*2だと知った上でやめたくないこと
  • 命の次に大切なもの
  • 純粋な内発的動機によるもの


ここから連想できるもの
趣味、自己表現、芸術、家族、子供、コンクールの賞、スポーツ、居場所、承認欲求、勝利、最強、子供の頃好きだったこと

ゲームが生きがいだった自分について

小学生から社会人の数年までの自分に「生きがいは何ですか?」と聞かれたら、「ゲームすること」と答えていると思う。
あるいは、ゲームをすると熱中することは食事すると腹が膨れるのと同じくらい当たり前で、逆に「生きがい」だと気付かないかもしれない。


生きがいを考えたとき、最もプリミティブかつ強固なのは「既に好きなものを理由もなく盲信的に追い続けること」である。
ただしこれは、一度「なぜこれが好きなのか?」と考え始めると、この思考には戻れない。メタ認知のスパイラルは止められない。


自分の場合だと、スマブラで時間が足りなくて学生に勝てないことに気付き、選手として諦めた時点では、まだゲームそのものには熱中できた。
そこから発展して「自分はスマブラの(これまでにハマったゲームの)何が好きだったのか?」と考えてしまったタイミングで、他のゲームもまとめて少し醒めた視点に立ってしまった。


したがって、一度生きがいを考えてしまった人は、なんとかして理性で生きがいを見つけるしかない。(「恋は盲目」というので、恋とか愛を知れば解決かもしれない。残念ながら今の自分には縁がない。)

「生きがい」はその人のニーズを満足することだと思う

「生きがい」は初めから具体的な一つの行為に定まるのではなく、あるニーズを満足する複数の行動が生きがいになりうる。ニーズとは、自分が求める望ましい状態のことを指す。


ニーズの例:(親族や友人との)コミュニケーション、ゾーン体験(全神経を使って没頭する)、他者の役に立つ、尊敬される、他者を従える、など。


例えば、ある老人のニーズが「息子夫婦や孫の役に立つ」ことであるとする。
その老人の生きがいは、「孫の料理を作る」「魚を釣って家系の足しにする」「自分の身の回りのことを自分で行う」など、その人の暮らしに合った具体的行為として表出する。


ありそうなやりとり
「あなたの生きがいはなんですか?」
「ここの川さ綺麗だでね、魚ッコ釣っで婆ァさんに炊いてもらうんですわ。(架空方言)」


自分の「生きがい」は何か?

自分のニーズは何かは、きっと過去に夢中になったことを分析すると見えてくる。
過去の自分は所属するコミュニティの中で偉くなることだったと分析している。
今はきっと親密なコミュニケーションがニーズになっていると思う。

だから、コミュニケーションを活性化させる何かが「生きがい」になりうるのではないだろうか。

今はこう思っているけど、もしかしたら全然違うかもしれない。
急いで答えを出す必要などない。いろいろやってみて、合う分野をセンシングしていくのがいいと思う。

夢中にならない生きがいもある

先週、市展を見に行った。工芸部門の展示室で受賞作品を眺めていたら、最優秀賞を取った80歳の老婦人と話す機会があった。その方は、赤と黄色に色づいた落ち葉の形のお皿を2枚出品し、細部までこだわった作りで評価されていた。

「私、秋が大好きなの!それで、私の好きなものを作ったの」

婦人は、こう話して、自分が幼いころから秋が大好きで、部屋が拾った落ち葉だらけになったことや、ものづくりの楽しさ、手に職をつけることの重要さを私に力説してくれた。


そんなやりとりがあって、すぐ後に友人にそのことを話した。
夢中になれることがあるのが羨ましい、自分もゲームに代わる、夢中になれることが欲しいと話した。

それを聞いた友人の反応は、自分にとっては意外にも批判的なものだった。

「夢中になることは必ずしもいいことではない。例えば、SNSを見ていて気付いたら長時間が経っているのも夢中になっていることには違いない。自分は夢中にはならないほうがいいと思っている」

というような意見を頂いた。


確かに、夢中になったり没頭した状態は周りが見えていないので、誤った選択をしがちになる。何かに夢中になった状態は気持ちいいが*3、必ずしも夢中になっている必要はない。

また、「生きがい=夢中になれること」とは限らない。
例えば、ある百寿者へのアンケートで、幸福感の構成要素を調査したものがある。
これによると、「日常生活に関心事を見つけ出す」「他者との良い関係性を築くこと」などから幸福感を培い、これが高齢者の生きがいになっている。

百寿者と私たちの間では考え方がかなり異なるかもしれないが、(特定の趣味や仕事ではなく)日常生活に根差した「生きがい」があることは、「夢中にならない生きがい」を考えるうえで参考になるだろう。


一般財団法人 長寿社会開発センター『生きがい研究』第29号より。研究誌のバックナンバーがpdfで読み放題です。↓)
nenrin.or.jp


読書メーターの感想も貼っておきます。




『暇と退屈の倫理学』に学ぶ生きがい

さきほど、『暇と退屈の倫理学』という本を通読した。
(本書のネタバレを含みます)






生きがいが無い状態は退屈である、と考えると、「生きがい」と「退屈」は決して無関係ではないだろう。


本書で特に印象的だったのは、退屈への回答として
「贅沢を享受して、ちゃんと満足する」
「人間であることを楽しんで、動物になること(≒ある物事に没頭すること)を待ち構える」
の二つを挙げていることだった。


本書のコンテクストを踏まえて、自分流に「生きがい」的に言い換えるなら、
前者は「ごちそうを食べたり芸術を観て、日々満足した暮らしをする」
後者は「自分の好きな物事を楽しみつつ、没頭できることを探す」
といった感じになるか。表現があまり変わっていない気もする。

前者は日常生活に満足する百寿者のアンケートに近いものを、後者はかつてのゲームで頂点を目指そうとしていた自分や工芸の老婦人に近いものを感じた。


こう考えると、生きがいというものは必ずしも「人生における究極の目標」みたいな大層なものである必要はないんだろうな、と思う。
とはいえ、没頭したときのエネルギーは凄いことを身をもって知っているため、そういう高尚な目標がある人に憧れがある自分がいるのも事実ではある。


最後に

今日はこんなところで。
また見返して、書きたいことが増えていたら追記します。



あなたの「生きがい」はなんですか?
ぜひ教えてください。

*1:いいところは汚れなくて、濡れても平気な点。気になるところは効率よく文字を消すのにコツがいること、一度使うと色ムラが残り続けること。

*2:『暇と退屈の倫理学』参照

*3:スマブラの大会でゾーンに入ったことが数回ある。これまでの人生でトップクラスに気持ちいい経験だった。病みつきになるが、相当に練度を高めないとスマブラではあの状態にはなれない。今では無理。

最近あったこと(24年9月~10月上旬)

今日は、ここ最近で経験したことと、そこから考えたことをまとめ......

ようとしたのですが、毎度毎度とんでもない長文になるので、今回は最近あったことだけ書きます。

初めて結婚式に出席した

20代も折り返し、人生で初めて結婚式に参列した。
正確には披露宴だけ参列した。結婚式は両家の親族数人しか列席しなかったそうだ。*1
結婚したのは会社の同期。新郎側である。平日夜によく飯と風呂に誘う程度には割と仲がいい。新婦側に仲のいい同僚がいたので釣り合いで呼ばれたのだろうが、招待されるのは素直に嬉しい。
事前に「これが普通の結婚式だと思わないでね!」と言われていた通り、新郎新婦のこだわりが詰まった特別な宴だった。
人の結婚式をあまり細かく書くものではないので、特に印象的なところを挙げると、

  • 新郎(会社の同期)の趣味が音楽と車で、DJの友人が多く呼ばれていたが、揃いも揃ってイカつくて面白かった*2。今回のために礼服やカバン等を全て買い揃えたが、今回ばかりは心配無用だった。
  • 出し物全てに新郎新婦の趣味が出まくっていた。披露宴会場(高級旅館の大広間)にDJセットが置かれていて、プロのDJ*3が披露宴のイベントに合わせてBGMをつけていたり*4、新婦の知り合いと思われるカメラマンが会場を駆け回って終始ハイテンションで写真を撮りまくっていたり。
  • 引出物はカタログか何かだと思っていたら、参列者全員、別々のものが渡されているらしい。そこまで親族や友人を熟知しているのに感心する。自分は銭湯デザインのトートバッグと風呂・サウナ用のいいタオルだった。「また風呂でも行こう」というメッセージだろう。

何よりも、新郎新婦が好き勝手していることを、友人も親族も義親族も、誰もが受け入れて嬉しそうだったのが衝撃だった。孫の結婚式に行って謎のDJセットがあったら、祖父母とかどう思うだろう。なにもかも笑って受け入れてくれる、そういう関係性を築けているのが流石だな、とも羨ましいとも思った。



ちなみに、結婚式の4日後、平日夜に新郎を飯に誘ったら、「今週は新婚旅行です」とだけ返ってきた。
思いっきり水を差してしまい申し訳なかったし、もし「結婚式の翌週はそういうもの」という社会通念があるのだったら、自分って思ってたより常識外れかもしれない。ちょっと精神を自傷した。


趣味の知り合いが立て続けに亡くなった

「慶」の話をした直後に「弔」の話をするのは我ながらどうかと思うが、期間としては1週間の間に全部起こっているので、自分の中ではもうひとまとめにして考えるほかない。

自分は本当に冠婚葬祭*5に縁の薄い生活を送っている。でも、こうなってしまうとライフイベントは他人事ではないことを思い知らされてしまう。

亡くなったお二方は、ゲーム関係の知り合いだった。一人は何度も家に上げて遊んだし、もう一人も、学生の頃から5,6年近い縁になる。
やはり身近な人を亡くすと寂しいものなのだな、と今更ながらに知った。

そして、どちらも同年代だった。自分や周りの人間も、「慶」か「弔」か、はたまた普通に不和や転居かもしれないが、いつ、どのように関係性が変わるかわからない。自分の身の振り方を少し考えてしまった。


フェスとライブに行った

9月中旬には「橋の下世界音楽祭」という野外フェスに、9月末にはライブハウスで「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN」と「U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS」の対バンに行ってきました。

フェス「橋の下世界音楽祭」

「橋の下」は、豊田スタジアムの橋の下で三日間開催される音楽イベント……というよりもお祭りに近いものです。

曰く、和風の異世界ファンタジーみたいな櫓があちこちに組まれている。普段どこにいるのかわからないような変な人たちがどこからか現れ、この三日間だけ日の目を見られる場所……と、このイベントを紹介してくれた会社の同期(↑で書いた新郎)は説明してくれました。
2024.soulbeatasia.com
HPを覗いて出演アーティストを確認しても、一組も知っている人がいない。
予習したほうがいいか?と聞くと、
「予習なんていらんいらん、その代わり、何を見ても驚かない心の準備だけして行って」
と。

なんだそれ、と思って向かいましたが、会場に訪れて完全に説明通りだと思いました。
まるで異世界に迷い込んだようでした。

これ全部、3日間のためだけに作られた建造物なんですよ。この祭にかけてる職人の熱量に眩暈がしました。



奥に見えるのは豊田スタジアム
高度に発達した科学文明が誇る巨大建造物と、その発展から取り残されるバラック街。みたいなアジアなファンタジー(あるいはSF)ぽくないですか?というか自分にはアルノサージュの世界に見えて仕方がなかった。


もちろん、建築だけじゃなくて音楽もよかったですね。日本やアジアの伝統音楽の色が強めで、盆踊り好き、ワールドミュージック好きの自分としては掘り出し物だらけでした。

一番良かったのは、意外にも(失礼?)「阿波踊り名古屋太閤連」という阿波踊り団体でした。ステージ上に演奏者、ステージ下に踊り手が入れ替わり立ち替わり。最後のハイスピードな演奏に合わせて踊り切ったとき、満杯の大広場が大爆発。拍手喝采のメチャクチャになっていました。

↓5年前の橋の下でのパフォーマンス。5年間で来場者が数倍になっているそうで、盛り上がり方はもっともーーっとすごかった。
www.youtube.com

どれくらいすごかったというと、演者が全員踊り終わった後、観客も巻き込んで会場櫓を中心に円を描くように踊るよう指示があったのですが、人が増えすぎて一歩も動けず、その場で踊るようなレベルでした。
それでも熱気が収まらず、観客が自然にアンコールするのですが、メインステージの時間が決まっていたようで、ステージから外れて広場へ踊りながら会場出口へ抜けていきました。
ただし、その間も演奏は止まず、観客も踊り手を囲んで大移動、そのまま広場で止まって二次会、ちょっと動いて三次会……と続いていきました。
あまりの反響に踊り子のお姉さんたちが感動して号泣していたのが印象的でした。


二次会の様子。元いたステージは左端。真ん中にいる踊り手を群衆が取り囲んでいます。


他にも楽しかったことはいっぱいあって、
会場が湧くとどこからともなく現れる龍や魑魅魍魎とか、
 

異世界感が半端ないポスターや建築とか、
(自然にハングルが混じってたりパッと読んて理解できないところがポイント高い)

激レアで異常に美味いクラフトジンアブサンが格安で飲めたり、
(岐阜・郡上の辰巳蒸留所のもの。寡聞にして知らなかったが美味すぎて感動した。このボトルを見かけたら迷わず注文してください)

あとは、普段見ない奇抜な髪色・髪型・ファッションをしている人がいても誰も気に留めなかったり(なんか全体的に露出度が高かった。褌一丁のおっさんや服の代わりに刺青を着込んでいるお兄さんが跋扈していた)、音楽もノリ方も5月に行った森道市場と比べ物にならないくらいディープでドープでした。特に出し物が終わった後の夜中に広場で発生していた乱痴気騒ぎは完全に異国・異世界のそれでした。
他にもいろいろありましたが、こんなところにしておきます。


「橋の下」を巡って楽しみつつずっと考えていたことがありました。

それは、こんなに良い祭があるのに、どうしてこれまでの自分たちの耳には入ってこなかったのか?
という疑問でした。

まあ、一応カテゴリ上は音楽フェスだから、音楽好きの人たちで楽しむイベントなのでしょうが、知らないのと知ってて行かないのは意味が違うだろう、と思います。

やはり、どうしても普段から情報を得ている人しか知りえない情報というのはよくあるものなので、楽しいことを見逃さないように、興味や趣味を広く保つことはいいことだと思いました。


ライブ「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN × U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS

アーティスト名が長い。書き分けると、「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN」と「U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS」の対バン*6です。
自分の目的は、両方でした。
この2組は、どちらも「森、道、市場」という愛知県蒲郡市のラグーナで開催された野外フェス*7で聴いたアーティストです。元々どちらも知っていて楽しみにしていたのですが、生演奏で心臓を掴まれました。

「CHO CO PA」はコミックバンドを自称しており、車内でレコーディングしたり、脛を殴られたときに吹くハーモニカをサンプリングしたりと風変わりな音作りをしておきながら、アジアンテイストな名曲を作り上げてる気鋭のバンドです。ただし、ライブでの演奏は名前も知らない大量の楽器を持ち込んで本気の演奏を見せてくれるようです。

ちなみに左のアフロ(細野悠太 氏)は、「はっぴいえんど」や「YMO」でおなじみ、細野晴臣の孫らしい。それで知る人が多いようだが、自分は「森道市場」に行った後に知った。というか細野晴臣を知らなかった。

「U×環×鎮*8」は、タブラという北インドの打楽器を専門とする奏者、U-zhaanの演奏で、環ROY鎮座DOPENESSという二人のラッパーがゆるーく歌ったりラップしたりするユニットです。この3人のユニットで出している曲はアルバム1つとシングル1曲しかないので、すぐに全部聴けます。

左から、鎮座DOPENESSU-zhaan環ROY。楽曲もこんな雰囲気。


せっかくなので、彼らの曲をどうぞ。
youtu.be
こちら、森道のCHO CO PA。正直、3日間で一番良かったです。今後伝説として語り継がれてもおかしくないライブだったと思う。


www.youtube.com
U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS は残念ながら森道での公式動画が上がっていなかったので、代表曲(独断と偏見)を。MC(というよりもほぼ雑談)も曲自体もゆるくて非常に楽しかったです。U-zhaanが曲を途中で止めて「今間違えたよね?」とツッコんでから再開する。それでいて、演奏もラップも不真面目そうに見えてかなりハイレベル。「こんな音楽でもいいんだ」と思わせてくれました。


……とまあ、どちらもファンといえるアーティストだったので、この二組のライブがあると聞いて、森道市場の帰路、電車内でチケットを取りました。


それで、ライブ当日、無事に聞いてきました。「新東京」以来、2回目のライブハウスでまだちょっと緊張しました。


肝心の感想なんですが、率直に一言で表すと、

「おもしろかった!   ……けど、森道のほうが感動したなぁ」

でした。


詳細を列挙すると、

  • 正直、CHO CO PAは森道の方がよかった。おそらく夜のライブハウスを意識してか、浮遊感を落としてドラムセット*9が強めの演奏だったけど、自分が好きなCHO CO PAはそっちじゃないんだよな、と思った。森道も音源よりは強めに聞こえたが、もっと落ち着いていたはず。
  • CHO CO PAよりもU-zhaanたちの方が明らかに人気がある雰囲気だった。CHO CO PAにノリきれていない人が多かったし*10、後半(U×環×鎮)の方が最初から明らかに反応がよくて悲しかった。対バン形式、そういう方に思考が寄ってしまうから苦手かもしれない。
  • それはそれとして、U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESSのパフォーマンスは大変よかった。観客を巻き込んで盛り上げるのが上手い。これまでにアルバムを1つしか出していないから曲は前回とほぼ代わり映えがしないが、それでもアドリブやMCが違うため、新鮮な気持ちで聴けた。
  • 最後にU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESSのアンコールがあったときにCHO CO PAも出てきて、コラボで『BUNKA』を演奏してくれて感動した。本当に良かった。

こんなところでした。
今回は完全には燃えきれなかったけど、ちゃんと楽しかったし、両者とも応援してるので、また近隣でライブがあったら行きます。

なんなら、12月に行く予定の、長野の温泉旅館で行われる音楽イベント「温泉音楽2024」の出演アーティストにCHO CO PAがいるので、これもまた楽しみです。
www.onsen-ongaku.com


ただ今回は内容よりも、「初めて音楽にケチをつけた」という経験をした点で印象に残るライブでした。
ケチをつけられるくらい最近色々聴いてるんだな、という感慨と共に、厄介オタクにはならぬよう自制も必要だと思いました。


身内の「遊び場」を作る計画について調べ、相談した

最近、友人たちが休日に集まって遊ぶ場所を作れないか?ということを考えていました。

現在、地元の友人たちとは主にDiscordで交友しています。
通話でも、毎日のゲームや会話する分にはほとんど不満点はないのですが、それでも、

  • 休日に集まれる場所が少ない(地元の友人は実家暮らしや同棲中だったりして集まりにくい)
  • 休日に集まる場所(ボドゲカフェとか)でやれることがあまりない(制限される)
  • 友人が(同棲や結婚などで)集まりにくくなっている

などの問題があります。

そこで、「今後、長期的に集まって何かができる(なんでもできる)楽しい場所」はないか?と考えるようになりました。
簡単なところでは「誰かの実家の一室を使う」から始まり、
最も大がかりなところでは「限界集落に原住民より多い人数で移住して乗っ取る」に終わる、
いくつかの案を考えました。

結果、やりたいことをできるだけ諦めない上で最も現実的なラインが、
「地元で格安の土地付き物件を買って、修繕しながら住む・遊び場にする」というものでした。


それでもやはり少なくない時間と金、それなりの覚悟が必要となることは間違いなく、協力してくれる友人がいないことには始まらないので、幾人かの知人に草案(といっても夢物語レベル)を話したのですが、

  • 夢はあるけど、(少なくとも最初は)身内しか誘わない以上、労力と金を実現できるレベルで拠出できる人が集まると思えない
  • まだ全員20代半ばで、ほんの10年後すら何をしているかわからないから引き返せない選択は怖い(土地は簡単に手放せない以上、リスクが高すぎる)
  • 土地(特に農地)の維持・管理は想像以上に大変
  • 集まったところでそんなにやりたいことなんてある?(その場で「遊び場があったらやりたいこと」(折りたたみ)を一部を列挙したら少し驚かれた)


などの指摘を受けました。
そんなこんなで得られた結論は「まだ早い。腰が落ち着いた中年あたりに、そこにいる人たちでやるのが現実的。」ということでした。

正直そんなに待てない、元気も熱意もあるのは今くらいだから、動いてみたい。
……という気持ちはありながらも受けた指摘は事実で、金も時間もないのもまた事実であるため、一旦は計画は構想段階で塩漬けとしました。


またいいアイデアがあったら動き出すかもしれないので、いろいろインプットしてます。


これでも目的や経緯、アイデアはかなり端折っているので、また詳しく書くかもしれません。



最近あったことで特筆すべき話題はこんなところですかね。
「最近考えたこと」は10月が終わらないうちに書けたらいいな、と思いつつ、かなり筆が遅いのでうっかり11月に入ってお蔵入りになるかもしれないです。(下書きに溜まった半年前の日記を見て溜息をつく)

*1:新郎曰く「式場が狭かったのと、遊びがなくて面白くないから呼んでない」

*2:グラサンにド派手なネクタイで来ていたり、髪型もヒゲも自由だったり。なんなら新郎側の参列者で普通に礼服を着てたのは自分と親族だけだった。普通の結婚式を知らないため実は毎回こうなのかと若干疑っている

*3:某テレビ番組のテーマソングを作曲したグループのメンバー。自分は昔その番組を毎週録画して見ていたのでマジでびっくりした。

*4:乾杯前のあいさつのような"タメ"の場面ではボリュームを抑えてさりげなくサビ前をループしていたり、イベントの展開に合わせるファジーさを目の当たりにした。なぜDJがいると盛り上がるのか、魅力の一端を見た気がした。

*5:書くにあたって、改めてそれぞれの意味を調べた。「冠」と「祭」の意味を間違えて覚えていたことを今知った。「冠」は出生、「祭」は年中行事のことだとずっと思っていた。

*6:通常約2時間くらいのライブ時間のうち、1時間ずつ持ち時間を分け合ってライブをする方式。前後半のアーティスト間でのコラボはしたりしなかったりするらしい。

*7:今年の5月に開催された森道が自分のフェス初陣だった。最高だった。絶対に来年も3日間全参加したい。

*8:正式の略称わからず

*9:ドラムとかシンバルとか。名称これでいいか自信なし

*10:CHO CO PAはあまり名古屋でライブしたことがなく、CHO CO PA側も観客に「ここで声出して!」とか「ここでフリを真似て!」みたいな素振りを見せなかったので、客も戸惑ってた気がする

本の読める喫茶店・カフェに求めること  ~ 「文喫 栄」に行ってみた ~

こんばんは。

読書合宿に行く途中の電車内で、『本の読める場所を求めて』という本を読みました。

↓読書合宿のお話はこちら↓*1
dnk.hatenadiary.com

この本は、「本はあっても、読む場所がない!」と嘆く著者が、彼にとって理想の読書空間である「本の読める店」を創り出すまでの話です。

『本の読める場所を求めて』の読後には、自分にとっての「本の読める場所」とはどんなところだろう?という疑問が生まれました。



ここからは先週末の話です。
読書合宿から一週間経ち、特に予定のない日曜がやってきました。

こういう日は、近所の市立図書館と小さな喫茶店をハシゴして、昼ごはん&お茶しながら本を読むことが多いです。
ここで、「喫茶店で読書」と考えたとき、先週読んだ『本を読む場所を求めて』の記憶が呼び起されました。


。o(そういえば、喫茶店で集中して本を読めたことってあんまりないよな)


読書が好きで、喫茶店も好き。にもかかわらず、多くの喫茶店では読書に集中できない。
これは淋しいことです。


そこで、『本の読める場所を求めて』とは異なり喫茶店に主眼を置き、快適に読書ができる喫茶店とは何か?ちょっと考えてみました。


※本記事では、「喫茶店」と「カフェ」の使い分けは厳密にしていません。「喫茶店」と「カフェ」は、置ける商品や調理設備の種類などで明確に区別できますが、これらの違いは読書の快適さにとっては重要ではないためです。


  [目次]

お気に入りの店から読書に必要な要素を分析する

私は、飲食店の開拓が趣味の一つです。
各種メディアで見かけて気になったお店や、他人から聞いたオススメのお店をGoogle Mapsのリスト機能で保存しておき、暇なときや他の用事で近付いたときに行ってみる。

元々は、喋り上手でない自分でも会社で話せるネタが欲しいと思い、就職後少し経ってから始めたのですが、なんだかんだと役に立つことが多く、スタンプラリー的な楽しみもあるため、苦もなく5年ほど続いています。

今はこんな感じ。「行ってみたい」リストから、実際に行ってみて良かったりまた行きたいところは「お気に入り」に昇格させてます。(微妙なところはそっと消します)

地図を載せると生活圏が駅名レベルで絞り込めそうなので、またいつか引っ越したら、具体的な店舗についても少し触れてみたいです。みんなに行ってほしい名店、いっぱいあるんです。

……だいぶ逸れました。ともかくとして、地域は限定的ですが喫茶店もそこそこ行っている*2ので、これまでのお気に入りの店から自分の思う「本の読める店」の要素を考察してみます。
細かく書くとあまりに冗長なので、要点を絞って紹介します。

① 「おひとり様専用喫茶」 A珈琲

早くも大本命。

店舗外観。「一人専用喫茶」と明記してある。
注文のたびに手挽きするコーヒーと手作りスイーツはどれも美味。


【この喫茶店が好きな理由】

  • なんといっても「一人用喫茶」である点。一人で行っても気後れしないどころか歓迎される異質な空間。
  • 極めて静か。他の客のページをめくる音や、厨房から手回しコーヒーミルの音が聞こえてくるほど。注文する客も自然と声をひそめる。
  • コーヒーが美味い。中浅煎り~深入りまで常時8種類ほど揃えているため飲み比べが楽しい。
  • 現在、営業日・時間は不定だが、基本的に昼過ぎ~深夜で営業している。
  • コーヒーの焙煎香が漂っていて心地よい。
  • マスターのブログが文才に満ちている。


【読書に適したところ】

  • 極めて静かで、最も集中を阻害する「意味のある話し声」が注文と会計以外では皆無である。微音で流れるゆったりしたBGMが心地よい。
  • 読書を歓迎する雰囲気がある。本棚があり、自由に取って読める。カウンター席の前にも表紙を外した文庫本がズラリと並んでいる。
  • 席の間隔が広めで、隣席の動きがあまり気にならない


【読書に適さないところ】

  • 一部の席では照明が適切でなく、自分の頭で陰になりやすい。
  • 席数が少なく回転が悪いためすぐ混む。「混雑時は90分目安で退店」というルールがあるため、一冊は読み切れないし、どうしても常に時間が気になってしまう。


【「読書ができる」度(5点満点)】
★★★★☆ (4/5)


② 「老夫婦の営む純喫茶」 B茶店

(どの写真を貼っても画像検索で一意に特定できてしまうので文章で。イメージしてください)
この地域の珈琲好きや飲食関係者は誰もが認める老舗の珈琲店
外装は目立たないが、中に入ると黒光りするクラシカルな調度品が目に入り、グレーのオールバックに整え、黒いベストと蝶ネクタイで身を固めた老紳士のマスターが静かに迎えてくれる。
店内はカウンター一列と四人掛けのテーブルが4つ。物腰穏やかな奥様に案内されてその一つに腰かけると、ジョー・サンプルのアルバム「Carmel」がうっすらと聞こえてくる。

www.youtube.com



【この喫茶店が好きな理由】

  • コーヒーも軽食も全て美味い。「美味い喫茶店」部門なら迷わずここを一位に選ぶ。
  • 値段が高い分*3客層がいい。年配の客や背伸びしてデートに来るカップルが多く、マックにいるようなJKや騒がしい子供などは滅多に見ない。*4


【読書に適したところ】

  • 店内の治安が能動的に守られている。騒がしい客や声が大きいオバチャンには、マスターの奥様が窘めに行ってくれる。
  • 店から「長居していいよ!」というメッセージが暗に伝わってくる。アイスコーヒーの氷にはコーヒーを凍らせたものが使われている。溶けても薄まらない気遣いが素敵。あと、ちょっと飲んだりぬるくなったお冷やを頻繫に交換してくれるとか。
  • 高級なお店なので、そこでの読書体験も心なしか上質になる気がする。


【読書に適さないところ】

  • ピークタイムは混むため、どうしても気を遣う。急かされたことは一度もないが、意図的に多めに注文したり、読み切れてないのに退店することが多い。1時間以上いると少しずつ申し訳なくなってきて、2時間経ったころに限界を迎えて退店する。
  • 営業日が週3日で、しかも18時に閉店してしまうため、本が読みたくても中々行けない。


【「読書ができる」度(5点満点)】
★★★☆☆ (3/5)


③ 「スナックみたいな夜喫茶」 喫茶C
入居している他の店舗はすべてスナック。ドアには「18歳未満は入店できません」の札が。どう見ても怪しいが中は喫茶店
通常メニューはコーヒーと酒、あとはトーストやピラフくらいしかないが、「今日は何がありますか?」と訊くと、手書きのおつまみメニューが出てくる。メニューにないものも普通に作ってくれる。カゴに入ったお菓子は食べ放題。

風俗の執拗なキャッチを振り切って、スナックばかりが集まるビルに入る。
中が全く見えないドアを恐る恐る開けると、L字のカウンター席と煙草をふかすマスターが目に入る。
どう見ても場末のスナックだが、壁に並ぶコーヒーカップを見て、入った店が正しかったことをようやく認識する。
初めて入る自分に、マスターは開口一番。

「ここ、喫茶店ですけど大丈夫ですか?」


【この喫茶店が好きな理由】

  • 深夜1時まで営業している。
  • マスターが話しやすいタイプの人。近辺の美味い飲食店を教えてもらったり、店に置いてある映画を借りたりした。
  • 店構えに反して(失礼)真面目なサイフォンコーヒーを出している。あとミルクティーも美味い。


【読書に適したところ】

  • あまり混まない(満席になったところを見たことがない)ため、どれだけ居座っても心が痛まない。
  • 営業時間が遅く、夜中に腰を据えて読書するには最適。
  • 「どれだけいてもいいよ」と直接言われている。(営業時間も、客が帰るまではいくらでも延ばすと言っている)
  • こちらが黙って本を読んでいる間は声をかけてこない。こちらが疲れて喋りだすと応えてくれる。


【読書に適さないところ】

  • カウンター席に座るため、客(酔っ払いが多い)とマスターの会話が必然的に耳に入って気が散る
  • 映画*5やドリカムのライブ映像などがループして流れており、音量は控えめだが激しいシーンでは流石に気が散る
  • タバコの臭いがキツい。

【「読書ができる」度(5点満点)】
★★☆☆☆ (2/5)~★★★★☆ (4/5)
※他客の騒がしさによって変動



④ 「第三の居場所を担う」Dカフェ
ご飯系もスイーツも美味い。季節ごとに異なるパフェが出るので通い甲斐がある。

【この喫茶店が好きな理由】

  • 紅茶の種類が多く、カフェインレスで美味いAZ Teaを置いているため、いっぱい飲める。紅茶がポットサービス。
  • フードメニューのクオリティが高い。
  • オーナーのお姉さんの愛想がいい。


【読書に適したところ】

  • 図書館から近い。徒歩で5分、自転車なら1,2分程度。
  • フードメニューは全て一人で手作りのため、注文が届くのが非常に遅い。待っている間は気兼ねなく読書できる。
  • 明るい店内で本に陰が落ちにくく、読書を邪魔されない。
  • 「自宅」、「会社・学校」に続く「第三の居場所」を自称していることもあり、平均滞在時間が長め。読書客やPC作業している客もちらほらいる。
  • 会話している客が多いが、遠慮なくヘッドホンをしてもいい雰囲気のため、あまり気にならない。


【読書に適さないところ】

  • 休日は混むため、食べ切ったら長居しにくい。
  • 混んでいなくても、気を遣って頻繫に注文してしまう。
  • 2~4人で来る若い女性客が多く、まれに場違い感がある。たまに(何やってんだろ自分)という気持ちになる
  • さすがに1冊読み切れるほど居座るのは心苦しい。


【「読書ができる」度(5点満点)】
★★★☆☆ (3/5)

⑤ 最寄りのコメダ珈琲店
一人でフードメニューを7~8割方頼んだ自分のオススメは、「和紅茶 瑞(みずき)(アイス)」と、ランチタイム限定の「たまとまレタスサンド コメチキ2ケ付き」


【この喫茶店が好きな理由】

  • 説明不要の「長居できる喫茶店」。
  • 読書、執筆、勉強、何をしてもいい気になる。
  • メニューが多いため、おやつはもちろん、昼食や夕食に行っても満足できる。


【読書に適したところ】

  • 朝早くから夜遅くまでやっている。最寄りのコメダは23時まで営業。
  • 店が広く、少しくらい混んでいてもあまり気にならない。
  • 店員が客に興味なさそうなのがいい。気疲れしにくい
  • 他の客も作業している人が多い。
  • 比較的机が広く、椅子が落ち着く。
  • 非常に騒がしいが、遠慮なくヘッドホンをしてもいい雰囲気のため、あまり気にならない。


【読書に適さないところ】

  • 朝昼晩、いつ行っても混んでいる。入店待ちが大量にいると、流石に気を遣って退店する。
  • 長居しても咎められないが、「いい客」であろうとして無駄に注文してしまう
  • 長居すると意外と油系の臭いが気になる。家に帰ると、カバンや服は油臭くなっている。
  • 様々な客が来る。たまに泣く子や臭い人、めっちゃ見てくる人がいる。
  • 大衆感があり、いわゆる「ハレの読書」には向かない


【「読書ができる」度(5点満点)】
★★★★☆ (4/5)
※集中はできるが特別感が足りない


自分の思う「本の読める喫茶店」の条件

……書きすぎました。どこが”要点を絞って紹介します”なんですかね??
お気に入りの茶店の話になると、それこそ一店舗で記事ひとつ書けてしまいそうです。

ひとまず、ここまでで出た読書ができる条件をまとめていきます。
『本の読める場所を求めて』を読んだ感想(前記事)で、既に「良い読書空間の条件」を考察していました。それが以下の通り。

①騒音や光などの環境に邪魔されず
②気が済むまで何時間でも
③店に対して気後れしないで
読書に集中できる

これを自分の経験を踏まえて拡張すると、

読書を明確に(少なくとも暗黙に)歓迎していて
②騒音や光、臭いなどの環境に邪魔されず
③気が済むまで何時間でも
④店に対して気後れしないで
「ハレの読書」に堪え得る格式(非日常感)を具えた
読書に集中できる空間

これが、自分にとって理想の「本の読める喫茶店」の条件であるとわかりました。


これまで行った喫茶店で最も「本の読める喫茶店」に近いのは、
空間込みで特別な読書を味わいたい、「ハレの読書」ならA珈琲
会社帰りに行ったり、勉強に近いような、「ケの読書」なら近くのコメダ
といえるでしょう。実際に自分も無意識下で使い分けをしてきたように思えます。

それでも、長居することの後ろめたさやルールによる制限など、完全無欠の「本の読める喫茶店」といえる店はまだ出会えていないように思えます。

東海で「本の読める喫茶店」を探す

理想となる「本の読める喫茶店」が定まったところで、その理想に近い店を探すことにしました。

私は生まれて20余年、2度の引越しを経てもなお東海地方を出たことがない、生粋の東海人です。
『本の読める場所を求めて』の著者が店主を務める「本を読める店」の「fuzkue」は、東京に3店舗があるのみで、地方にはまだ展開していないようです。

「fuzkue」にアクセス困難なのは残念ですが、幸い東海は喫茶店文化の強い地域です。*6
どこかに理想の店があるだろうと思い、東海地方の行ける範囲内で調べてみました。

やはり、結構ありますね。

紹介されていた中には行ったことがある店もあり、そこは「ブックカフェ」と自称しながらも全然読書向きでなかった*7ので、少し警戒して探しました。

最終的に行くことに決めたのが、「文喫 栄」です。


「文喫 栄」とは?

ここまで長々と語っておいて今更なのですが、「文喫 栄」は喫茶店を名乗っていません。店名で騙された。(リサーチ不足)
「文喫 栄」は、「大喫茶ホール 本と居場所と珈琲と電源」というコンセプトで営業しています。
sakae.bunkitsu.jp

とりあえずホームページを見ていただくのが手っ取り早いですが、システムをかいつまんで説明すると、

  • 無料の(誰でも入れる)本屋スペースと、その奥に有料の大喫茶ホールがある。
  • 大喫茶ホールは時間課金制(打ち止めあり)で、入場中はフリードリンクが飲み放題、料理やお菓子は別料金で都度購入できる。
  • 大喫茶ホールには3万冊の本があり、読み放題。これらは全て購入できる。
  • 無料の本屋スペースにある本は購入しないと持ち込み不可。

といった具合です。
この特殊なシステムで、自分の琴線に触れたのは、何よりも時間課金制であることです。


前項までで、ほとんどの喫茶店で本を読むときに問題となるのが「長居することへの後ろめたさ」であることを認識しました。

書籍『本の読める場所を求めて』で、著者はこの問題への解決策として、「fuzkue」では、「オーダーごとに小さくなっていくお席料制」を採用していました。
雑に説明すると、飲食物をオーダーするたびに席料が安くなる仕組みです。4時間以上の滞在では追加の席料がかかるようにもなっています。(詳しくは書籍を読んでください)
この仕組みによって、欲しくもないのに注文しないといけない義務感を軽減しつつ、長時間滞在をする選択肢を店側から提示できます。

自分も、読書をする上で必須となる「長居する」という行為への心理的負担を軽減する点で、席料制を採用することは大いに有効であると考えていました。

そう思っていたところに見つけた「文喫 栄」だったので、迷わずここに飛びつきました。

「文喫 栄」に行ってみた

「文喫 栄」は、名古屋市営地下鉄 栄駅 に直結の商業ビル2階で営業している。
特に迷うこともなく到着すると、店の入り口付近は無料の本屋エリアになっていた。

フロアマップ。店舗HPより。<https://sakae.bunkitsu.jp/>

本屋エリアは流し見た。流行りの本や売れ筋の本、おしゃれな本が強めに置かれている印象だった。
しかし、このとき自分の脳内は、ここまで来る電車内で読んでいた『返らぬ日』のことでいっぱい。一番いいところで到着してしまったので、続きを読みたくて仕方がない。早く有料スペースに入りたかった。

返らぬ日(吉屋信子著)

本屋スペースの奥、受付と思しき場所に来たが、システムがよくわからない。受付のお姉さんに説明してもらい、なんとなく理解した。
そのまま入店処理を済ませ、課金中を示すネックストラップを受け取る。ホール内の本が売り物だと聞いて、持ち込みの本を取り出したら怪しまれないかと思って相談したら、『返らぬ日』に文喫オリジナルのブックカバーをかけてくれた。なるほど、これなら大丈夫か。

店内の偵察。落胆と納得。

大喫茶ホールのBエリアに入場。立ち回り方がわからず、さっそくキョドる。
喩えるならちょうど、初めて遊ぶMMOでキャラクリを済ませて、最初の街に訪れたときのような落ち着かない感じ。周りでたむろしている客が強く見えて仕方がない。……伝わらない?
『返らぬ日』は読みたいが、まずは客として自然に振る舞うために、チュートリアル店内の偵察をする。

Bエリア。公式HPより。

最初の街ことBエリアはご飯ものを売るカウンターがある。キーマカレーが美味そうだ。フリードリンクもここで補給できる。想像以上に席数が多い。日曜の13時ということもあり、もちろん人も多いが、無理なく収容しているように見えた。蔵書は食と旅、趣味の類、あと絵本が偏ってるな。

Cエリア。公式HPより。

Cエリアは細い通路上にコーヒーショップみたいな店が出ている。甘い匂いがすると思ったら、クレープやクッキーが売っていた。この辺りには音楽や美術系、写真集が多かった。

Dエリア。公式HPより。

そのまま奥に行き、Dエリアに足を踏み入れると、完全にコワーキングスペースの様相を呈している空間が現れた。窓際は一面ガラス張りで、窓に向かってカウンター席が並んでいる。反対の壁側は半個室のようなブース席になっていた。どちらの席もノートを広げて勉強中だったり、スマホで動画を見ている学生で満席だった。蔵書はビジネス本、自己啓発本、投資本などが目立った。
そのまま最奥まで歩くと、曇りガラスで区切られた、オフィスの会議室のようなスペースがあった。一体誰がこんなところで会議をするのだろうか。


通路を引き返しながら、思ったことは一つ。

(本読んでる人、全然いないじゃん……)

BエリアとCエリアは食事とお喋りしている人でいっぱい、Dエリアは自習している学生しかいない、といった調子で、なんだかぐったりした気分で、最後のAエリアに向かう。

Aエリアは、他のエリアとは完全に区切られていた。ガラスのドアには、「会話NG」「食べ物持ち込みNG」「飲み物OK」というルールがピクトグラムと短文で表示されていた。ここだけ様子が違うな、と思いながらドアを開ける。

Aエリア。公式HPより。

Aエリアの中は、外の喧騒とは打って変わって店内BGM(今まで全く聞こえなかった)だけが聞こえる静かな空間だった。照明は薄暗く、天井や調度品も他エリアの清潔感重視の白と青ではなく、シックな茶色と黒が基調になっている。まるで書斎だと思った。
蔵書は、他の場所から追いやられた専門書が全てここに集まっていた。

ここに集まっている客は比較的年齢層が高めの男性客が多かった。

全て納得した。

読書して食事して読書。

店内を一周して、ようやく「文喫 栄」の全貌が見えてきた。なんとか、自分も客になれた気がした。
腹は減っていたが、食事よりもまずは『返らぬ日』を読もうと思い、フリードリンクのアイスティー片手にBエリアの窓際にあるカウンター席に陣取った。
アイスティーは、ちゃんと店の味がした。少なくとも漫画喫茶のドリンクバーとは次元が違う。ドリンクにはあまり期待していなかったため、これは嬉しい。

一時間程度かけ、『返らぬ日』の表題作、「返らぬ日」を読破した。
ああ、そう終わるのね……。
放心して、数分間カウンターテーブルでうなだれていた。


意識を取り戻して、ようやく気付いた。周りの客も店員も、自分のことを全然気にしていない。

読書にかけた一時間というと、普通の喫茶店では少し後ろめたくなって追加注文を頼む頃だ。
それに対して、今の自分は、一度も注文すらしないで、一時間集中を途切れさせることなく最後まで読み切ることができた。

これが時間課金の力か、と感心し、遅いランチにした。
キーマカレーが食べたかったが、既に15時近くになっていたため軽めに済ませた。

海老ブロッコリーサンド(公式HPより)

海老ブロッコリーサンドを注文。字面だけで選んだ結果、意図せず好物のクロワッサンが出てきて嬉しい誤算。
フォークとナイフで食べた。空腹も相まって美味かった。
ただ、どうしてもクロワッサン生地が飛び散る。本を開きながら食べる不届き者はいくらでもいそうだから、売り物の本の汚損リスクが気になった。ちゃんと店で買い取って並べているならいいが、返本されるなら出版社はたまったものではない。

フリードリンクのカフェインレスコーヒーは口に合わなかった。コメダのカフェインレスの方が美味いと思う。まあ、コメダはホットだが、ここのカフェインレスはアイスだから比べるようなものではないか。


そんなこんなで軽い食事を済ませた。
続いて、サンドを待っている間に近くの本棚で見つけた『胃袋の近代ー食と人びとの日常史ー』を読んだ。

こういう文化史の本は結構好きだ。高くて中々買えないため大抵は図書館で借りて読むことになるが、こういう場所でなら読めるとわかったのは収穫だった。

読み終わった『胃袋の近代』を元の本棚に戻したところで、Bエリアの大量にある席に客が満杯になっていることに気付いた。
狭い感覚で並べられているローテーブルの2人席には、ほとんどが会話している女性客で埋まり切っていた。机には写真集と思しき薄い本や旅行ガイドが置いてあることもあったが、多くの客は本を持っていなかった。もしかしなくても、読書目的ではなくお喋りしに来たのだろう。思えば、90分825円でドリンク飲み放題は、かなり安い。

ふと、今まで使っていたヘッドホンを外すと、とても読書には耐えられない喧騒が襲い掛かってきた。こんなところでノイキャンなしで本が読める人は、きっとどこでも読めるし「本の読める喫茶店がない」なんて悩みとは無縁だろう。*8

逃げ込むようにAエリアに入る。書斎のような室内はやはり静まり返っており、空席すら目立った。安心するとともに、「ここの客、どんだけ喋りたいんだ」とも思った。

Aエリア。安住の地、見つけたり。

改めて壁全面に高く積みあがった本棚を見ると、気になる本が山ほどある。無限に来れてしまう。
とりあえず最初に目に入った本、『なぜ外国語を身につけるのは難しいのか:「バイリンガルを科学する」言語心理学』と、その隣にあった『一次愛と精神分析技法』を手に取り、手近な席に落ち着いた。
ちなみに、この2冊は本棚の最上段に置いてあったが、その高さは自分(身長164cm)が全力背伸びしてギリッギリ届くものだった。明らかにAエリアだけターゲットとしている客層が他エリアと違うな、と察した。あと少しばかり敗北感を覚えた。

照明はやや薄暗いが、デスクライトがあるため問題はない。「本を読む」という目的のためだけにある、壁に向かった席がちょうどいい。

ようやく読書体勢になった私は、ヘッドホンなしでも快適な読書空間に辿り着いたことに感動しながら読んだ。静かな空間を音楽で上書きするのは勿体ない。


……ただ、100点満点、完璧な空間というわけではなかった。例えば、

  • せっかくの静かな空間なのに、BGMの音量が大きくて気が散るときがある。曲調も、もっとゆっくりにすればいいのに、と思った。
  • 読み進めて30分くらい経った頃、同じブースにいた大学生くらいの若い女性客に、その彼氏と思しき男が寄ってきて「まだいるの?」「何読んでるの?」みたいなことを喋りかけていた。「会話禁止」が読めんのか若造が、という殺気を放っていたが、気付いてもらえなかった。こういうの注意しにくいよなぁ。

などといった若干の汚点はあったものの、概ね満足といえる読書だった。

『なぜ外国語を身につけるのは難しいのか:「バイリンガルを科学する」言語心理学』を読破した辺りで、気付けば18時になっていた。もう一冊に手を付けることは諦めて精算へ向かった。

精算。理に適った価格感。

入店受付の隣で精算を行う。ネックストラップをスタッフのお姉さんに返すと、機械で読み取って値段を告げられる。
5時間滞在していたらしく、一日の最大料金で打ち止めになっていた。入場料は2,475円。キャッシュオン方式で既に支払済みの海老ブロッコリーサンドは税込み693円。合計で3,163円。
茶店で払う額としては少々高いかもしれないが、コメダに居座ってドリンク3杯とランチに軽食までつけたら3000円くらいにはなる。私は妥当な価格設定だと思うし、他の店では得られない満足感があった。
むしろ、やや高めの価格設定は、「ハレの読書」を演出するスパイスにすらなりうると思う*9


「文喫 栄」は「本の読める喫茶店」か?

体験したことをありのまま書いたため冗長になってしまった感があります。
この日、感じたこと、考えたことをまとめてみます。

システム
  • システムがわかりにくい。普通のカフェとはシステムが違うため、自然に客として振る舞うまでに少し時間がかかった。

→どちらかというと漫画喫茶に近い気がする。あっ、もしかして、「文喫」って、満喫のもじり?


対象となる客層と内装
  • 店が広い。静かに読書するためのスペースとカフェの延長線上で利用するスペース、仕事や勉強をするスペースが分かれている。
  • 客は多いが店が広いため日曜昼でも満席にはならなかった。Bエリア(飲食店あり)は狭くかなり騒がしかったが。
  • 各ブースの特徴と、その近くに置いてある配架の整合性が取れてるのがうれしい

→文喫といいながら、明らかに読書目的でない客も満足させられるようにする仕組みに感心した。エリアごとのルールとしてはAエリアの会話禁止・食事禁止以外は明文化されてないが、それぞれが過ごしやすい空間に勝手に流れていくためゾーニング目的のルール付けは不要なのだろう。

そして、本をガチで読みたい人を密室に分離することで、喧騒から遠ざけることに成功している。
(近い概念として、市民プールのガチで泳ぐレーンや、飲食店の空間分煙を連想した。)
好立地ゆえ、勉強やお喋りを目的にしている層は多いので、彼らを収容しきれるスペースを用意しないと、読書ゾーンになだれ込んでくることは容易に想像できる。また、どんな客でも受け入れることで、商業的に上手くいかせているのかもしれない。
fuzkueは読書しない客への魅力を排することで秩序を守った。文喫は読書する客だけを収容するバリアーを作って秩序を守っているのだろう。


スタッフ
  • 店員が長居する人に対して、というよりは客に対して興味なさそうなのがいい
  • 食べ物は自分からカウンターに受け取りに行く。食べ終わった食器は返却スペースがある。スタッフがフロアを動き回る必要がほとんどないようになっている。

→店員による客への目線は、長居する際の後ろめたさを与えかねない。コスト削減やオペレーションの効率化の結果かもしれないが、結果的に快適さに寄与しているように感じる。


仕入れ方法
  • かなり汚損リスクが高いが、大丈夫か?

→素人の考察だが、本屋スペースの売り物を大喫茶ホールに持ち込めないことを考えると、大喫茶ホールの本は買い切り型で仕入れ、本屋スペースの本は売れ残ったら返品できる委託販売制にしているのではないか?


課題点
  • 会話がある他のブースはともかく、静かなAブースのBGMが大きいときがあり若干気が散る
  • Aエリアにいる間、店員を一度も見なかったため、喋っていても注意する人がいない。

→読書好きとしては、是非ともAエリアの更なる快適度向上に努めていただきたい。


総評!

ここで、自分にとって理想の「本の読める喫茶店」の条件を振り返ってみます。

①読書を明確に(少なくとも暗黙に)歓迎していて
②騒音や光、臭いなどの環境に邪魔されず
③気が済むまで何時間でも
④店に対して気後れしないで
⑤「ハレの読書」に堪え得る格式(非日常感)を具えた
読書に集中できる空間

これを「文喫 栄」に当てはめて考えてみると、
①②:Aエリアの存在によって実現
③④:料金システムや店員の不干渉によって実現
⑤ :Aエリアの存在と価格帯によって実現

このように、「文喫 栄」は、総合すると文句なしに「本の読める喫茶店」と呼んでいい店だと思います。
あくまでも、「広義の喫茶店・カフェ」という注釈が入るような特殊な業態ですが。

部分的には課題点もありますが、また行きたいと思うには十分な満足感が得られました。


次はどこに行こうか

いやはや、さっそくいい店に出会ってしまいました。
また行くのもいいですが、東海にはまだ本が読めそうな喫茶店がありそうなので、暇なときに引き続き開拓してみようと思います。

次は、名古屋で最も有名な(主観)読書特化の喫茶店である、『読書珈琲リチル』に行ってみようと思っています。

気が向いたら記事にするかもしれません。


では、また。

*1:この記事が先日「きょうのはてなブログ」に掲載されたことで、アクセス数が普段の100倍になりました。9月30日と10月1日の2日間合計と、ブログを始めて1年半の累計がほぼ同じで驚いています。今後とも、たまに見ていただけると嬉しいです。

*2:お気に入り249か所中、カフェとして利用した店が53件だった。結構な割合だと思う

*3:最安値のコーヒーでも1杯700円。サンドイッチ等は全て1000円を超えるため、少し長居してドリンク2杯、昼食にケーキなんて頼むと3000円を超えてくる。田舎なので、周りの珈琲屋と比べると5~8割増しの相場感。だけど本当に美味い。大好き。

*4:子供自体は親に連れられてしばしば来るが、皆おとなしく、いい子にしている。いい店にはいい客が付くものである。

*5:デッドプールカイジ2アウトレイジシンゴジラが多い

*6:ちなみに喫茶代の支出額の全国1位は岐阜県だそう。なんと全国平均の2.5倍。2位は東京で、3位は愛知県。やはりモーニング文化が強いと思われる。ちなみに自分は岐阜県民の年間支出額くらいを毎月払っている気がする。

*7:具体的に読書向きでなかった点を挙げると、「騒がしい」「本を読んでいる客が少ない」「混みすぎて落ち着けない」という散々さ。ブックカフェ要素は「自由に読めて購入できる本棚がある」くらい。ただし、その蔵書もやたらと意識高い系(社会問題や政治、自己啓発)のテーマで揃えられていてうんざりした。そもそもライブハウスの真横にあって、自分もライブ直前の時間潰しのために入っていたため、こうやって調べるまでブックカフェだと思っていなかった。

*8:ちなみに現在使っているヘッドホンはソニーのWH-1000XM5。自然なノイズキャンセリングで人混みでも電車内でも全く問題なく音楽が聴けるし、集中して本が読める。高いけど本当におすすめ。

*9:ここの詳細な議論は『本の読める場所を求めて』参照

読書合宿。旅情感と読んだ本の感想も添えて

ダンクです。

先日、友人たちとちょうど一年ぶりに読書合宿を敢行しました。

みんなで本を持ち寄り、1泊2日でひたすら読み明かす。疲れたら温泉に浸かる。そんな旅。

参加者は、前回に続いて僕と友人2人、そして初参加の1人を加えた4人旅。
場所は長野の山奥にある温泉旅館。前回の読書合宿で利用した旅館が非常によかったので、今年も同じところにしました。

ちなみに、前回の旅行については彼が書いてくれていました。
ankakeassa.hatenablog.com


今日はその旅行と、読んだ本について書きます。
(調子に乗って書きすぎました。1.4万文字あります。)

9時半ごろ、名古屋駅で初参加の友人と合流。


JRの改札前に集合するように伝えていたものの、なかなか来ないな。あっ、いたいた。

最近短く髭を整えているのと、首掛けヘッドホン、先週フェス会場*1で買ったサングラスが相まって、ちょっとこわい人がいると思われていたらしい。そっかー……。
サングラスを買ったときに「こっちが似合ってますよ!」「胡散臭くなくていいね」と言ってた露天のお姉さん&会社の同期A氏の感性と、我々のそれとは少々ズレがあるのかもしれない。

気を取り直して特急しなのに揺られること2時間。
車窓から見る山景にかかる雲が厚くなってきた。どうやら今日の午後から明日にかけて雨が降るらしい。
憂いても仕方がない。さっそく本を読んでいこう。

1冊目:本の読める場所を求めて


「本の読める店」を開店した著者のエッセイ。
著者は、「今日はがっつり本を読んじゃうぞ~」と思っても、家でもカフェでも図書館でもゆっくり読めないと感じ、理想の読書空間を提供することにしたそう。

確かに、本を読むにあたって、
①騒音や光などの環境に邪魔されず
②気が済むまで何時間でも
③店に対して気後れしないで
読書に集中できる、
そんな場所は意外と思いつかない。

カフェで長居することにかなり神経質になってしまう著者と違い、自分は、割と平気で喫茶店に居座る傾向がある。この記事を書いている今も、コメダに入って3時間半が経っている。

でも、さすがに自分なりに気を遣う。
自宅周辺で一番お気に入りの喫茶店は、高齢夫婦や背伸びしたカップルが来る「いい店」である。
本は読むが、ここで書き物をするためにノートを取り出したり、PCを開いたりする気にはならない。迷惑にならないと思われる範囲で長居しようとするが、頻繁に注文するし、満席になったらすぐに出る。まあまあ人気の店なので、2時間を超えて居座れたことはあまりない。罪悪感もそこそこある。

コメダなどの一般に長居できるとされる店でも、1~2時間おきに追加注文するように心がけている。
もちろん空腹ではない。カフェインに特別強いわけでもないため、コーヒーや紅茶が3杯くらい続くと次第に動悸がして落ち着かなくなる。


席料はちゃんと払うから、店の回転や注文の間隔なんて気にしないで、何時間でも好きなだけ本を読みたい。しかも集中を途切れさせてこない場所がいい。

著者は、読書好きに潜むそんな隠れた願望に気付き、全ての本読みの理想を実現すべく、「本の読める店」を作った。

ぜひ、東京に行った際は、この著者の店に行ってみたい。そう思うだけの魅力があった。


あと、本書の論点から派生した感想としては、以下の通り。

  • そういった読書のインフラから外れる田舎の人間は、自力で読書空間を作り上げるしかないよな、と思った。自分も今の場所に住んでからは海岸とか公園でブルーシートを敷いて読んでたこともあったし、みんな色々考えてるのかもしれない。
  • 推し作家の新作を一気読みするような「ハレの読書」という概念を自然に持ち出していたことが印象的だった。そうでない「ケの読書」を山ほどしている人の発想だ。確かに同じようなことを思うことはある。
  • 結局のところ、「客単価が~」とか気にしないでモーニングで昼まで居座ったり、オシャレ空間に疎外感を覚えなかったり、そういう厚かましい人が一番生きやすいんだろうなぁ、と思った。でも、そういう人って本読まないだろうなぁ、とも思った。*2


図書館よりもカフェよりも、もっと本の読める場所があれば、確かに素敵だな。
そういえば自分も、「本の読める場所を求めて」長野に移動してるんだった。

今日の読書がより楽しくなれば嬉しい、そんな本でした。


12時過ぎ、松本駅に到着。

先駆けて10時台に着き、先に喫茶店で待っていた2人も駅前に出てきて、つつがなく全員集合しました。

昼飯。
私が計画段階から「そばが食べたい」と希望を出していたこともあり、電車内で調べていた松本駅付近の蕎麦屋に歩いて行くことに。
当初予定していた店は人気店だったようで、入店まで1時間くらいかかりそうな行列だったため、近辺の蕎麦屋を探して滑り込む。
さすが長野、蕎麦屋が多い。
頼んだのは天ざるそば大盛。デカくて美味い!

なすの天ぷらってなんでこんなに美味いんですかね。
蕎麦湯まで飲み切って完食。気持ちいい満腹感だ。

13時半、食事を済ませたらすぐに旅館へ出発。

長野在住の友人の車で田舎道をひた走る。(運転ありがとうございました)
旅館には自販機も売店もない。道中のコンビニで夜用の酒やお菓子を調達し旅館へ向かう。

しばらくすると、予報通り雨が降ってきた。
帰りの電車、止まったら困るな。まあ明日は三連休の二日目だから最悪帰れなくてもいいか。などと考えながらお喋りしていたら、いつの間にか山道に突入していた。

15時10分、チェックイン開始とほぼ同時に入館。

運転お疲れ様でした。
旅館に入る前からすでに匂う硫黄香に心弾ませる。

チェックインの受付後、スタッフの方から、「去年も来ていただきました?」とのありがたいお言葉。
たぶん顧客データベースで管理しているのだろうが。来年もし行くなら、違う人を代表者にしてみようか。

仲居さんに案内してもらった8畳ほどのシンプルな和室(なんと去年と同じ!)に着き、荷物を置き、すぐさま、誰とはなしに持ち寄った本を展開していきました。


今回持ったいった本がこちら*3。趣味を前面に出しつつ、読後感がいい本、斜め読みできる本を主軸に据えて選書しました。

各々が自分の本をプレゼンし、満足すると、去年と同様に床の間へ並べる。
参加した4人分の本をまとめると、こんな感じ。

4人で64冊。壮観!何より、自分に全く縁のない本がこんなに並んでいる、この違和感・非日常感が非常によい。

16時。夕食に向け、まずは4人で風呂に入る。

風呂は四角い木造の内風呂が一つ、これまた四角い露天風呂が一つ。露天の方がやや広いとはいえ、快適に入れるのは4人まで。
しかし、広さなどなんの問題もない。

旅館HPより

この風呂はとにかく泉質が抜群!硫化水素型の硫黄泉、そしてなんといっても無加温の100%源泉かけ流し!源泉かけ流し、ああ、源泉かけ流し。なんという甘美な響き。

強烈な硫黄の香りを吸いながら身体を洗い、熱い内風呂にいざ入湯。きもちいい~~~!!
pH3.3の白濁した酸性泉が身体に染み入る。染み入る。染み入る。……熱い。

耐えかねて外風呂へ。おお、雨が降っていて涼しい。

旅館HPより

外風呂は雨と外気で適度に冷まされ、ちょうどいい。ぁあぁぁぁぁ、溶ける。
やがて4人全員が露天に集合する。
「来てよかったねー」とか、「明日は天気大丈夫かな」とか、些事を喋りながらのぼせるまで入る。
やはり最高であった。来た甲斐があった。満足。いやいや、本読みに来たんだった。

風呂を出て、部屋に戻る。
夕食は18時半。今は17時。まだまだ外は明るい。本を読もう。

2冊目:プレイヤーはどこへ行くのか――デジタルゲームへの批評的接近

様々な著者がアンソロジー形式で、ゲームに対して様々な切り口で批評したもの。
内容よりも、ゲームについて深く考えるきっかけを与えてくれたことが自分にとって重要だった。

ここ数年で、ゲームを学生の頃ほど本気で遊べなくなってしまった。

幼い頃遊んだピコ*4SFCスーパーマリオコレクションに始まり、近頃遊んだシレン6やGGSTに至るまで、さまざまなゲームを遊んできたが、人生が狂うほどハマったゲームを挙げると、
主に小中学生の頃遊んだメイプルストーリー
高専生の頃遊んだPSO2
高専生から社会人3年目まで本気で取り組んだスマブラ(for/SP)
この3つを挙げるしかない。


なぜこれらのゲームに本気だったのか。
これは過去の内省で、自分の中である程度結論が出ている。

メイプルストーリーは、ゲームの中のキャラクターが強くなると、増えていく数字に伴って自分が偉くなると半ば本気で思っていた。

PSO2は、自分の中でゲーム内の世界(コミュニティ・ステータス・ゲーム内経済などの総体)は現実と同じように存在しており、現実世界を生きるのと同じように重要だった。

スマブラは、クラスメイトに勝つとか大会で優勝するといったスポーツマン的動機で練習していたが、煎じ詰めると「強い奴が偉い」と思っていたからだろう。


これらのゲームは、最初は知人に誘われ、増えていく数字や情報に魅力を感じてのめりこみ、自分の中で現実と同じ重みに達したのちに、最終的にどれも「時間がない」という一点で諦めている。

スマブラは、20年の秋に出た大会で格下だと思っていた相手(大学生)に負けて予選落ちしたとき、心が折れて上を目指すのをやめた。時間がない社会人では自由な学生には勝てない。

PSO2は社会人になる頃(2019年)にやめ、NGSのサービスイン*5のときに戻ってきたが、結局、最新コンテンツを追いかけられる時間を継続的に取れずに2か月くらいでやめてしまった。

メイプルストーリーは、「やったら終わる」と思って長らく触らないようにしていたが、今年の7月に会社の同期B氏に誘われ、それと同時期に当時好きだった職業のリメイクがあった*6と聞いて、戻ってしまった。しかし結局、3週間くらい熱心にレベリングしたあと、仕事から帰宅した後の時間が読書や他のゲームなどのやりたいことに対して全く足りず、メイプルにかける時間を出し切れずにやめてしまった。


このように、ゲームの天敵は時間の無さである。つまり自由時間を大きく制限する仕事が悪である。


……と思っていたのだが、最近それも言い切れなくなってきてしまった。
それは、最近になって、一人でゲームができなくなってしまったから。具体的には、一人用のゲームを配信しながらでないと遊べなくなってしまったのである。

自分はゲームをするとき、いつもDiscordのグループ通話でプレイ画面を共有している。
画面共有をしながら、それについて話をする。常に誰かが見ている(かもしれない)状態でゲームをする。すると、友達の家で集まってゲームしているような気分になる。

身内との対戦ゲームなら配信しなくても気が済むのだが、不特定の人間とマッチングしている状況だと、配信しながらでないと長時間やる気が続かない。


たぶん、今の自分は、ゲームを単なるコミュニケーションツールだと思っている。


仮に仕事をやめたり自由に時間を取れたとして、ゲームを現実と同じ重さまで捉えなおせるのか?ゲームに対する情熱は帰ってくるのか?仮にその一時はまたハマれたとして、歳を取ってもずっと情熱を維持できるか?自信がない。

魔法が解けかかっている。




——ということを考えながら読みました。長々とすみません。
読み終わったら18時20分。程なくして、夕食の準備が完了したと電話がかかってきました。

18時半。待ちに待った夕食。浴衣に羽織を纏い、食堂へ。

自分の名前が書かれた卓を一目見て気付く。去年と全く同じ献立だ!

なるほど、季節で内容を変えているなら、ほぼ1年後に来たら同じものになるのか。
まさか、去年大満足だったあれらを再び食べられるとは思わなかった。

コントの小道具みたいな生酒も一年ぶり。これ、味はしっかりしてる割にアルコール感が薄めで、後味がすっきりしてるからかなり好み。
小鉢、3つあって全部うまい。山芋が異常に美味い。お品書きに書いてある牡蠣醤油があればこうなるのか?たぶんそんなことはない。
岩魚の塩焼きも美味い。川魚の串焼きなんてここでしか食べないな。
土鍋の中身は鴨鍋。肉厚なキノコが、ダシを出してなおメインを張っている。具沢山でかなり量が多いが、残すなんて選択肢などない。
おひつに入った白ごはんを茶碗1杯強残し、女将さんに生卵を頂けるか声をかける。
「もしかして、、おじや、、ですか?」
さすがプロ。サービスで生卵を頂き、おじやにする。とっくに満腹だけど美味すぎて手が止まらない。

完食。ごちそうさまでした。

明らかに食いすぎで苦しい腹を抱えて客室に戻る。布団が敷いてある。
仲居さんは、部屋の床の間にある大量の本を見て何を思っただろう。
もしかしたら同じことをしている客がたまにいるかもしれないし、もっとトンチキなものが置かれていることもあるかもしれない。

さあ、本を読もう。
普段読まないジャンルがいいかな。ふとスマホを見ると20時を少し過ぎたところだった。夜はまだ始まったばかり。

道中のコンビニで買ったワゴンセールのギンビスをかじり、読み始めた。

3冊目:近畿地方のある場所について

先月読んだ『サユリ』以来2冊目のホラーで、これが初めて読むホラー小説となった。
モキュメンタリーとよばれる形式(たぶん)で、近畿地方のある地域で群発する怪奇現象について調べたオカルト誌編集者の調査資料を集めた形式を取っている。
カクヨムで連載されていた作品の書籍化で、資料それぞれが短編として順次投稿されていたようだ。

一つ一つは短いが、それらを統合した一冊の分量はそこそこ多く、重要そうな記述もあればそうでなさそうな記述もあり、こういった形式に慣れていないこともあり読み進めるのに難儀した。

最初は旅館の窓際にあるちょうどいいスペース(広縁というらしい)の椅子で、一人で読んでいた。ところが、中々事件の全貌が見えてこず、しかもどの報告書も人が狂うか死んでいき、ずっと落ち着き悪く、焦らされているような感じがした。ホラーにほとんど触れずに育ってきた自分は、ずっとソワソワしており、半分読んだあたりで耐えかねて他の3人がいる布団のある側に逃げて読み進めた。

終盤は事件と事件が繋がっていく様がよくわかり、怖いというよりかはスッキリした。終わり方も嫌いではなかった。
この結末を予想できた考察勢はすごい。

しかしやはり、これはリアルタイムでカクヨムを追いかけていたらもっといい読書体験ができたのだろうな、とも思った。当の自分はカクヨムの頃から本作を認識していたが、ホラーが苦手で1話しか読まなかったので論外である。


かなり苦戦したが、読み終わると23時だ。少し眠いがまだまだいける。
そろそろ、アレ、読むか。

4冊目:砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet


去年の読書合宿では、深夜に『ボトルネック』を読み、精神に大ダメージを受けて風呂に入った。
『砂糖菓子』の持ち主から、「今年のボトルネック枠」と聞いており、嫌な予感はした。でも、こういうときでもなければ自分から読む気にならない。
せっかく精神的な文章を読むならと、センチメンタリズム全開にすべく深夜に手に取った。

読破した感想を一言で述べると、やはり非常によい作品だった。そしてとても嫌な気持ちになった。心が動く作品はいい作品である。

この本の感想(考察?)を語る上で、論点が2つある。

1.子供は無力で、子供の不幸の原因は親や周りの大人にある。
子供が大人の庇護や愛情を求めるための防衛反応を「砂糖菓子の弾丸」と解釈すると、周りの大人はその子なりの「砂糖菓子の弾丸」に気付いて、大人が「実弾」で守ってあげないといけない。そもそも子供に砂糖菓子の弾丸を撃たせるべきではないのだが、撃たせてしまっているなら気付いてあげないといけない。

しかし、子供の「砂糖菓子の弾丸」に気付くことは現実問題として難しい。
その理由の一つとして、子供によって「砂糖菓子の弾丸」の撃ち方は異なることが挙げられる。
ある子は「大人びている」という撃ち方かもしれないし、他の子は「変なことをして目立ちたがる」かもしれない。
他にも、「他人をいじめる」「他人を殴る」「すぐに謝る」「親離れができない/拒絶しようとする」などなど、無数に考えられる。それらのサインを「砂糖菓子の弾丸」だと判断してあげることは、かなり難しい。

もう一つの理由は、それ以前の問題として、大人*7子供だった存在から地続きである以上、一人の子供だった存在としてしか子供に接することができないからだ。こちらの方が本質的な問題かつ深刻だと思っている。

大人は一人の子供だった存在であるために、多くの大人は子供の頃に置かれた環境による歪みや不幸をそのまま抱えている。
大人になってから子供たちと接するまでの間に自身の歪みをメタ認知して矯正・昇華*8できないと、なぎさの母親のように子供の撃つ「砂糖菓子の弾丸」に気付けないばかりか、藻屑の父親のように自身の歪みを後世に伝えていくことになる。
きっと、藻屑と出会わなかったなぎさは、わが子に「実弾」を持たせることに固執する親になっている。藻屑が大人になれていたら、自分が受けた仕打ちを愛情として与えていたかもしれない。


一方で、これは持論だが、子供に歪みを伝えるその大人は悪だが、彼らに真の責任があるとは必ずしもいえないと考えている。何故なら、子が親の教育しか受けられないように、親もまた、その親からの教育しか受けられないからである。
見たことがなく想像できないものを作ることは極めて困難であるように、自分の受けた教育から大きく外れた教育を子に施すこともまた困難である。

こう考えていくと、世の中の歪みや不幸といったものは世代を超えて遺伝・伝搬し、本質的に断ち切れないものだと思う。
私は常日頃から、悪人や"残念な人"を見ると、「育ちが不遇だったのだろう」と考えるようにしている。(損害賠償といった実際的なことは難しいが)悪事や不幸の本当の責任の所在は、悪人の親の親の親の——遥か祖先に遡ってしまい、どこにもない。
本書を読破して、この考えが一層強化されたように思う。


2.子供は与えられた環境を正しく評価することができない。
少年少女たちは、親から与えられた環境を甘受することしかできない。
その中で各々の考える精一杯を生きている。

しかし、その精一杯(=砂糖菓子の弾丸)に意味がないことはおろか、弾丸を撃たなければならない自分自身に疑問を覚えることは早々できない。
なぜなら、(藻屑に接するなぎさのように)他人の置かれている状況をまじまじと注視しない限り、自分の置かれている状況が唯一絶対のものであり、客観的に認識できないからだ。

本を読んでいる自分も、実家を出てから初めて歪みに気付いたことを思い出させてくれた。

当事者だったころは、何も疑問に思わない。大人になって、実家を出る。外から元いた自分を見返したり、他人の家庭と比べる視点を得たとき、ようやく異常性に気付く。

やはり誰もが、一度だけ、数年だけでも実家を出たほうがいいと思った。
無論、実家の異常さじゃなくて偉大さに気付くかもしれない。


一息に読み切り、ぐったりした。


気付けば時刻は午前1時30分。風呂に入るか?
運転手を務めてくれた友達と、残り3人のうち一人はすでに寝ている。起きているのは自分含めて残り二人。
彼は私が持ってきた『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』を読んでくれていた。あと3割といったところか。もう一冊、軽く読むか……



5冊目:好き?好き?大好き?

6冊目:結ぼれ


まず、『好き?好き?大好き?』を手に取った。
女の子が大きく描かれた今風な表紙、帯やあらすじを読むと、サブカルに大きな影響を与えた詩集の名作らしい。ははん、タイトルからしてこりゃ純愛モノだな。ページ数も少なめだし、一気に読もう。

開く。

うわっ。怪文書だっ。一目見てゾワっとした。鳥肌立った。

多くは2人の会話を文章化した形式の詩として展開されていくのだが、会話が全く嚙み合っていない。

コミュニケーション不全という概念を純度100%でそのまま言語化しているように見えた。

眉間を押さえながらページをめくるが、どういう意図を持ってこの文章を書いているのか、2割くらいしか理解できない。こうなると、正解となる解釈など初めから用意されて無いような気すらしてくる。自分の内面に問え、的な。

困った。これはそう、よくわからない絵画を見たような感覚だ。
自分が絵画を鑑賞するときは、一目見た印象、モチーフ、素材、作者、そしてそれに正対する自分の感覚の順で想いを巡らすことが多い。

解説まで読んでも意味の分からないアートは、最後の「自分がこれを観てどう思ったか」という一点で評価するようにしている。

ということで、絵画、特に現代アートを鑑賞している気分で、特に自分の内面に問いかけるように読んだ。

……あー……これ、ちょっとだけわかるかも。
あぁ、一見異常なのは「彼女」だけど、うんざりして投げやりな返事をしてる「彼」も不和の原因だよな。

などというように。それでも大部分はイメージできずに流し読んだ。


半分くらい読んだが依然として唸っている私を見て、「旅館のちょうどいいスペース」の向かいの椅子で『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』を読んでいた彼(『好き?好き?大好き?』の持ち主)から

「先に『結ぼれ』読んだ方がいいかも」

というアドバイスを受けたため、『好き?』は一旦置いて『結ぼれ』を開いてみた。

適当にページを開いてみた。

……こっちの方が意味わかんねーよ!

ずっと論理パズルみたいなことをしている。
抗議の視線を向けると、

「最初の数ページ読んでみ」

とのこと。半信半疑で最初から読んでみる。
よかった。序文だけはまともな文章だ。
この文章を読んで、ようやくこの作品群の意図を理解した。

本書において素描したもろもろの模様は、人間を束縛している諸関係にかんする

これらの模様はそうひどく図式化されているわけではないからそれの源泉をなす、きわめて特殊な経験まで遡って考察することがでいないほどではなかろう。

な、なるほど。精神科医でもある著者(『好き?』のあらすじに書いてあった)は、人間同士の営みを詩として言語化しようと試みた、ということか*9
それで、『結ぼれ』は理論編としてそこそこ抽象化したもの、
対して『好き?』は実践編という位置付けで、具体化された生の経験を詩にしているものなのだろう。


それを意識して『結ぼれ』の本文を読む。
……この作品で目指すところはなんとなくわかったけど、内容はそう簡単には理解させてくれない。

この旅館での短い時間で流し読みしてどうこうなる作品ではないと察し、こちらはまた今度、自分で買って読もうと決めた。序文が読めただけで得るものはあった。


『結ぼれ』を脇に置き、『好き?』に再び手を付けることにした。
少し読み方がわかった。コミュニケーション不全を様々なシチュエーションで再現することでそこから人と人の関係性の本質を解き明かそうとしているわけだ。それで、こちらは実践編だから具体例が多い、と。
相変わらず意味不明な記述は多いが、意図がわかると少しだけ著者に寄り添える気がした。


なんだかんだ唸りながら読み進めていき、最後の一篇、表題作『好き?好き?大好き?』まで読み切った。

詩『好き?好き?大好き?』は、彼女が「好き?好き?大好き?」と何度も確認し、そのたびに彼が「うん 好き 好き 大好き」と返事をする。
彼女が「世界全体よりも?」と訊くと、彼は「うん 世界全体よりも」と返し、
彼女が「わたしのこと 魅力(ミリキ)あると思う?」と訊くと、彼は「うん きみのこと 魅力(ミリキ)あると思うよ」と返す。

これを読んで、自分の率直な感想は、

「彼、いつもこんな会話してて飽きてるんだろうなぁ」

だった。
彼が彼女のことを本当に好きなら、自分なりにもっと趣向を凝らして愛情を表現するだろうと思った。
しかし、彼が本当にうんざりしているなら一緒にいるとは思えないため、心のどこかでは釈然としなかった。

最後まで不和をテーマにした詩集だったな、と結論付けて、訳者の村上氏によるあとがきと、文庫本発刊のきっかけになった、にゃるら氏の解説まで読んだ。

ここでようやく、なぜ本作がサブカルチャーの教科書とされているのか理解した。

本作の詩や思想は、音楽やゲームでたびたび引用されているらしい。*10

こうしたサブカルの人が読む『好き?好き?大好き?』は、自分が読んだときとは全く違う表情を見せているようだった。

曰く、作中に登場する精神病者の語る言葉は、飾りのない本物の言葉だけである。
この常人には出せないまっすぐさが、まっすぐであるゆえに倒錯していく関係性こそが美しく、読者を惹きつけるのだということらしい。

参考に、解説文を寄稿されていた にゃるら氏の『好き?好き?大好き?』評を見つけたのでこちらをどうぞ。
note.com

まだ、この作品の魅力を引き出す"読み"を自力ではできないことを思い知った。
難しい読書をするときに先人の切り拓いていった道を通っていくことは誤読や思い違いを防ぐ点で有効である。
ただ、何も知らないまま読んで大多数の解釈から逸れていくのも、これはこれで面白いな、とも思った。

これはこれでいい読書体験だった。
次は、『好き?好き?大好き?』も『結ぼれ』も買って読みたい。



今回の読書はこんなもんかな。『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』を読んでいた彼は、15分ほど前に風呂へ行った。自分も寝る前にもう一回風呂にしよう。
とんでもない文章を読んで目は冴えている。

いつの間にか、時間感覚はとろけて消えていた。静まり返った廊下には、スリッパを履いた自分の消しきれない足音が響いた。

浴場には友人一人のみ。
彼が持ってきた『好き?好き?大好き?』と『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の感想をひっさげて露天へ入る。雨は控えめに降っていた。
聞こえるのは、自分が入って溢れた湯と、湯舟へ静かに落ちるノイズのような雨音、それと深い吐息のみ。月は隠れ、厚い雲が淡く光る。山合いの景色が映える昼の景色は見事だが、何も見えない夜もまた風流である。

勿体ない気持もあったが沈黙を破り、『好き?好き?大好き?』を読んだ感想を話した。その後、彼が読んだ本の話も聞く。

彼は、昼間に読んだ『パーティーが終わって、中年が始まる』が大変に堪えていたようだった。
老いは他人事ではない。
『プレイヤーはどこへ行くのか――デジタルゲームへの批評的接近』で、自分がゲームを楽しめなくなりつつあることに気付いた。これも老いのせいかもしれないし、実はもっと別の心境の変化によるものかもしれない。
自分も来月で27歳。老いに対して先手を打てるチャンスは、もう多くないと思う。

などなどと深夜らしい話をしていると、気付けば雨脚が強くなっていた。内風呂に逃げ込む。もう少し話をして風呂を出る。

4時半、就寝。

両隣の寝言や屁に少々気を取られながらも、さすがに限界まで疲れていたので程なくして入眠。

7時半。早く寝た二人に起こされ、もぞもぞと蠢く。

8時の朝食までになんとか着替え、帰り支度まで済ませた。偉い。

朝飯。写真撮ってなかったのでイメージしてください。
ハム2枚が載ったサニーレタスのサラダ、ゼンマイの小鉢、魚の甘露煮と沢庵に青唐辛子味噌、さらに梅干しと海苔、温玉、そして信州味噌の味噌汁とおひつに入ったごはん。
そう、米を食べるための朝食。理想の朝食です。

4人ともがっつき、いつの間にかおひつが空に。うまかった。

部屋に戻ってチェックアウトまで二度寝。これがまた格別なのよ。

10時、楽しい時は一瞬で過ぎる。惜しみつつ退館。

チェックアウトの会計時、女将さんへ飯が美味かった旨、きっと来年も来る旨を伝えた。
来年か……。来年も来れるといいな。でも次は別の場所に冒険しても楽しそうだ。

起きた時は土砂降りだったが、旅館を出るときにはいくらかマシになっており、車で下山して街に出た頃にはやがて快晴となった。

12時前、松本駅で土産物を見終え、昼飯へ。

今日も蕎麦を食べる。
昨日の酒と睡眠不足が少し残っているから、シメの山菜そばといこう。

かなり短くてプチプチとした食感の麺が特徴的だ。大胆に箸を突っ込み、ワシワシ食べる。美味かった。
対面の席で昼から酒を飲んでいる奴がいる。夜明け前か。一口もらった。昨日の生酒(大雪渓)とは違うけど、こちらもうまい。

13時、「また何かしよう」と声を掛け合い、二人と別れる。

特急列車は定刻通り出発した。帰りの電車がちゃんと出てくれて安心した。
帰りの電車内で、初参加の彼から満足してくれたと話が聞けてこちらも安心。
車窓に映る山々を眺めたり読書メーターに感想を投稿していたら、いつの間にか熟睡していた。




そして今日。

会社から帰ると、未だに自宅がほんのり硫黄の匂いがして驚いた。
あの旅行から今は地続きってこと。だからまたいつでも行ける。

いやあ、今年もいい旅だった。
来年も読書合宿をしたいし、来年まで待たずとも何か楽しいことがしたい。
さあ、次は何をしようか。



(追記)
読書合宿に一緒に来てくれた友人が感想を書いたので、こちらもどうぞ。
ankakeassa.hatenablog.com

*1:豊田市で開催していた橋の下世界音楽祭。ヘヴィなロックや東アジアの民謡・民族音楽系のアーティストが多い。怖いお兄さんや半裸のお兄さん、発光するおじさんと一緒にノッたり踊ったりできる貴重な機会で楽しかった。

*2:自分自身が謙虚な友人たちと比較したらそこそこ厚かましい気がすることは置いておく。こういうのは濃淡があって、もっとすごい人はいる、と言い訳しておく。

*3:『パーティーが終わって、中年が始まる』だけは、今回参加しなかった友人の本。ちょうど借りており、自分と彼の意向で今回持参することに

*4:正式名称はキッズコンピュータ・ピコ。セガトイズ製の知育ゲームハード。絵本型のカセットを挿し、タッチペンなどで遊ぶ。ぐ~チョコランタンのソフトをよく遊んでいた記憶がある

*5:2021年。グラフィックの一新、レベルのリセットなどさまざまな点で実質新作だが、超大型アップデートという位置づけ。旧PSO2のキャラクターをそのまま持ってこれる上に旧PSO2のマップに戻ることもできる。

*6:職業≒他のゲームで言うところのクラス。好きだった職業はエンジェリックバスター。戦闘中に変身し、「戦場のアイドル」として正体を隠しながら悪と戦う、魔法少女とアイドルを混ぜたキャラクター。変身バンクが大好きだった。……のだが、あろうことか、リメイクによって魔法少女要素がほぼオミットされてしまった上に、キービジュアルも変更、変身バンクに至っては旧デザインを基にしていたため削除されてしまった。ネクソンは"わかってない"。

*7:ここでは「成人している人間」を指す。精神的に未熟でも成人してさえいれば合法的に子供を持つことができるため。

*8:担任の先生のように、「自分と同じ歪みを今の子供に味わわせたくない」という行動がとれるようになることをそう呼んだ

*9:ちなみに『好き?』の日本語版は1978年、『結ぼれ』は1973年刊行。サブカル系の表紙は罠もいいところである。表紙だけ見てラノベだと思って読んだ

*10:あの奇ゲーとして名高い『serial experiments lain』の主人公、岩倉 玲音(れいん)の名前は著者R.D.レインに由来していると知って驚いた。

特に好きな曲2409

音楽の話をします。


かつての私は、音楽、特にボーカルのある曲全般を忌避していました。
そこから紆余曲折あり、知らない音楽を探して聴くのが趣味になって今に至ります。

↓音楽好きになる経緯はこちらを参照ください↓
blog.hatena.ne.jp


この記事にあるように、2020年から積極的にAmazon Musicで音楽を聴くようになり、
その頃から現在まで、気に入った曲を「My いいね」のプレイリストに、
そして会社の後輩との話(過去記事参照)から、「好きな曲(昼)」「好きな曲(夜)」それと運転用のプレイリストに分割してきました。


4年間、プレイリストに曲を入れては消し、入れては消しを繰り返した結果……
だいぶ増えました。

一人で聞いている分にはこれでも特に困らないのですが、
最近、他人に音楽をオススメする機会が増えてきたのと、前々から考えていたので、ここでプレイリストをひとつ新造することにしました。
それがこちら。(以下Amazon Musicのリンク)
特に好きな曲2409 プレイリスト | Amazon Music Unlimited

こちらは、「自分の好きな曲はこれです!」と言える曲を厳選したプレイリストです。
好きな曲(昼)と(夜)を合わせると1800曲程度(少々ダブりがあるため少し減る)のため、上位10%をイメージして選んでいます。
あまりアーティストに偏りがあってもなんなので、なんとなく1名義あたり最大3曲程度に抑えました。
ジャンルはあえて揃えなかったので結構グチャグチャかも。
アーティストでソートすれば、まだ少々まとまりが出ると思います。


こういうプレイリストは初めて作ったので、「今好きな曲」というよりは比較的オールタイムベスト感があるものにしました。
よかったら聴いてみてください。


え?Amazon Music Unlimitedを登録してない?
他サブスクへのプレイリストのコピーソフトがあるのでそれでも使ってください。
もしくはUnlimitedの無料体験とかあればそれでも。


また来年あたりにでも作ってみようと思います。



余談ですが、音楽関係のイベントの話をすると、今月末はクラブクアトロU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS×CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINのライブ(長い)、
12月はTofubeatsのライブに行くことになってます。
いやあ、楽しみだ。

あとは、できれば長野で温泉音楽に行ってみたいです。
www.onsen-ongaku.com
冬山で泊まりのスケジュールなので色々ハードですが、誰か一緒に行ってくれないかな。

資格のはなし

前々回の記事で、ヒイヒイ言いながら資格の勉強をしていることを書きました。
dnk.hatenadiary.com

その資格の合否発表がメールで来てました。

ということで、こちら結果。

よーーーーーーし!!!

こんなわけで、社会人5年強が経ち、当初に予定していた資格を全て取り切ったところです。
記念に、記録とささやかな自慢のため、資格勉強の履歴をまとめていこうと思います。
主に取得していたのは、電気通信系の資格です。

電気通信系資格の黄金ルート

電気通信系の資格には、前提資格で科目免除が受けられるものが多数あります。
これを最大限活用できるように受験計画を立てると、取得が楽になります。
私が受けたルートは、以下のようになります。

工事担任者 (AI・DD総合種)

  • 基礎
  • 技術理論
  • 法規

  ↓

電気通信主任技術者(線路)

  • 電気通信システム ……工事担任者で免除
  • 線路設備 及び 設備管理
  • 法規

  ↓

電気通信主任技術者(伝送交換)

  ↓

第一級陸上無線技術士

特に一陸技が難関資格で、中でも難しいとされる無線工学Aが免除となるため、この取り方が楽で一番安定すると評判です。
これを読む方の中にはそういないとは思いますが、通信系の資格を取ろうとしている方は参考にどうぞ。


次に、これまで取ってきた資格を振り返っていきます。
特に面白みはないです。

工事担任者 AI・DD 総合種

入社後すぐに取ったのが電気通信の工事担任者
総合種に許可された工事の範囲は、

アナログ伝送路設備又はデジタル伝送路設備に端末設備等を接続するための工事。

とされています。
雑に言うと、家庭の電話機やネットの端末装置を触る工事に必要な資格です。
今では改名されて「工事担任者 総合通信」とされています。

試験科目は「基礎」「技術理論」「法規」の3科目。
会社から命じられて取った工担の資格ですが、一番試験勉強が辛かったのはこの資格かも。
理由は単純に資格試験慣れしてないから、あと一人暮らし開始直後で勉強どころじゃなかったから。
試験自体の難易度は時間さえかければ大したことなかった気がします。

この手の資格全般に言えることですが、科目合格の仕組みがあり、一度合格した科目はたしか2年間(一陸技は3年間)の免除が受けられます。
勉強に自信がない人はこれを活用して取ってることが多い印象です。
自分は、まず「基礎」と「法規」だけ科目合格をしておき、
半年後に「技術理論」を取って合格しました。

「基礎」は、高専時代の電気回路・電子回路・デジタル回路の授業を復習するだけでほとんど解けました。卒業後すぐに受験してよかった。
「法規」は、電気通信事業法の条文を暗記するだけ。2週間くらいでどうにかなった記憶。

半年後に受けた「技術理論」は、ひたすら規格や通信の用語を暗記する必要があり、一から覚える必要がありました。
仕事の休憩中や通勤中にずっと勉強して、なんとか受かりました。

電気通信主任技術者(線路・伝送交換)

次に取ったのは主任技術者の資格を2つ。

線路主任技術者資格者
電気通信事業の用に供する線路設備及びこれらに附属する設備の工事、維持及び運用

伝送交換主任技術者資格者
電気通信事業の用に供する伝送交換設備及びこれに附属する設備の工事、維持及び運用

どうにも漠然としている資格範囲です。これの意味するところは、電気通信系の工事とか保全業務を行う事業所に最低1人は必要になる監督者の資格、らしいです。
仕事での出番は当分ないけど、分野的にはピッタリだし一生涯有効だから取ろうということに。昇格にも有利。

先に取ったのは線路主任技術者。
受験したのはは令和3年度で、この年から4科目から3科目になった都合で試験範囲が統合され、大混乱でした。
試験前日に新しい試験範囲の存在を知るグダグダ具合でしたが、旧試験範囲から出る問題はしっかり覚えたのに加え、仕事で一部使う知識があったの(と、幸運)がプラスに働き、奇跡的に合格。


伝送主任技術者は2年ほど経って今年の1月に受験。
あんまり詳しくないネットワークの知識(TCP/IPとかルータとかスイッチとか)や無線知識がメインでした。
ひたすら馴染みのない専門用語の暗記ばかりなので、とにかく苦痛でした。
こちらは、試験前日に飲み会(贔屓にしている店の周年記念パーティー)に参加し、終電もなく真冬の友人の車に車中泊し、試験会場まで送ってもらった上に二日酔いの死んだ顔でなんとか試験を受けきるというハードスケジュールで挑んだことが思い出になりました。
飲み会自体はずっと前から決まっており、飲み会ありきのスケジュールで本気で勉強したおかげで、得点自体は余裕をもって合格。
試験の後日、飲み会があったお店に行ったら、周りの常連さん全員から「試験どうだった!?」って聞かれたので、受かって安心しました。

第一級陸上無線技術士(一陸技

こちらが、この間まで勉強していた資格になります。
免許の範囲としては、

第一級陸上無線技術士
放送局、電気通信業務用等の固定局、無線測位局等すべての無線局の無線設備の技術的な操作を行うことができます。

ということで、無線設備を全て扱える*1無線系の最上位資格になります。
一陸特の上位版といったらわかる人もいるかも。

陸技の試験範囲は、アンテナの特性、給電線などの回路、電波の伝搬など。分野でいえば、電磁気学と電気回路が近いです。
これまで取った資格はほとんどが知識問題だったのに対し、一陸技は計算問題が微積やlog、dB変換を扱う計算問題が半分近く出題されるので、正直レベルが違う印象でした。
工担や電通の資格は試験前1か月程度の勉強期間があれば十分でしたが、一陸技の対策は錆びついた計算力を鍛え直すところからスタートしなければならず、50日ほど前から学習を始めました。

最初は、仕事終わりに数時間勉強しても、1日に1,2問しか進まない有様でした。
解説を見ても式変形が理解できない、次から次へと新しい公式が出てくる、試験時間の2時間半で2問しか解けてない、などなど、数回折れかけました。

しかし、なんやかんや1カ月勉強した辺りで、なんとなく見たことある問題が増えてきて、試験2週間前には既に解法の暗記するだけの段階になっていました。
やはり、わからない問題を飛ばすよりは、時間をかけても理解するように努めるのが重要だと実感しました。

今回の試験勉強で思いがけず役に立ったのは、Chat GPTです。
テキストの式変形がどうしてそうなるのかわからない、気軽に聞ける相手もいない、という状況で、藁にも縋る思いで使ってみたChat GPTですが、想像以上に正しく式変形の間を補完してくれたので、大変助かりました。
ナチュラルに嘘をついている可能性もあるので検算しないと怖いですが、今回使った限りでは全て正確に解答してくれていました。

問題文と解説をカメラで撮って質問するだけで……
解説がこの通り。「式変形を省略しないで説明してください」のような追加注文にもバッチリ対応。

毎日取り組んだおかげで、試験1週間前には過去問で9割近く取れるようになり、法規も特に問題なく暗記できました。
むしろ、序中盤こそ焦って勉強していたのに対して、終盤の「今受けたら合格するのに」という状態で1週間以上もモチベーションを維持するのに苦労しました。

こうして一応は万全の状態で受けられた一陸技の試験でした。
本番は、工学Bと法規で各1問ずつ知らない問題があった他は、特に詰まるようなところもなく、危なげなく解けました。

そして先日、解答の発表がありました。自己採点の結果は、

工学B:123/125 (75点以上で合格)
法規:95/100 (60点以上で合格)

というわけで、ほぼ満点でした!ちょっとビビりすぎてた感はありますが、まあ受かってたならいいでしょう。


頑張って取った資格はこんなところです。
他にも、暇で取ったFP3級とか統計検定3級とか、社外資格を取らないときは半期に1回は社内資格を受けているとか考えると、就職から5年強でずいぶんいいペースで頑張って取ったところです。

資格勉強のメリット

正直、資格を取りまくっても、業務上で必須のもの以外、大して役に立つとは思えません。
5年間資格勉強し続けて一番よかったことは、「自分のためにまとまった時間を勉強に充てる」という習慣を作れたことだと思います。
勉強する習慣がなければ、読書だって今よりもはるかに捗らなかったでしょう。

それと、これまでは図書館か喫茶店に行かないと勉強できない体質だったのですが、
陸技の勉強をするたびにコメダに通っていたら破産しそうだったので、なんとか家で勉強する習慣をつけました*2
それでもコメダのコーヒーチケットは2か月足らずで1冊使い切ったのですが。

次、何取る?

陸技を取ったので、正直、業務上ではこれ以上取る資格がありません。
次は何を取るか、ぼんやり考えています。
とりあえずは異動先で使いそうなTOEICと、趣味のエス検(エスペラント学力検定)ですかね。
TOEICは、学生時代に受けた試験で、鉛筆を転がすより悪い点数*3を取った苦い思い出があるので、苦手克服のためにも一度やってみてもいいかもしれません。




まあ、しばらくは資格なんて考えないで、すぐに役に立たないことばかりしたいですね。
やるにしても今年の秋から。
しばらくは本を読みます。あとゲーム。

脱線しますが、春の一戦以来、会社の後輩からたびたびスマブラの勝負を挑まれます。
選手として頑張っていた頃ほどではなくても、恥ずかしくないくらいの腕は保っておきたいと思っています。
まだしばらくはボコボコにしてやって、先輩の面子を保たせてほしいものです。

*1:厳密にはモールス信号の送信ができないなど一部の制限あり

*2:自宅近辺の図書館の勉強スペースは放課後・休日は混みすぎている

*3:恐らくクラス最低点。一応全部埋めたが......

「代々木の仙人」について。

どうも、ダンクです。
試験が終わりました。これで自由。


電車で1時間半の移動中、アルコールの回った頭でTwitterを眺めていたら流れてきた、「代々木の仙人」について。

neet3.hatenablog.jp


どうも、2017年と今年の3月ごろにテレビの取材があったようで、当時は少し話題になったらしい。
自分は今日初めて知り、衝撃を受けた。

代々木の仙人の生活

七十数年の生涯で2,3年しか働いたことがなく、親が遺してくれた貯金で、今でいう引きこもりの生活をしている。
朽ちかけたゴミ屋敷のような家に住み、家電の類はほとんど壊れ、納豆やきゅうり、オレンジ等だけを食べて生きている。
専ら読書をしているが、得た知識を社会に反映させる気は無く、そんな生活にある程度は満足している。

「代々木の仙人」は私のロールモデルとなり得るのか?

代々木の仙人のインタビュー動画を見た。
↓こちら↓
www.youtube.com

彼は「落ちこぼれだった」が、豊富な読書量からくる卓越した知識を持ち、哲学や社会の仕組みについて持論を展開することができる。
代々木の仙人は、ある意味では私の(私たちの?)ロールモデルとなり得る生き方をしている。本を読み耽り、社会に対して達観した態度を取り、世の中で(本人曰く「官僚によって」)引き起こされている諸問題について確固たる意見を持てる生き方は、明確な教養人のそれである。

しかし、彼が典型的な教養人の振る舞いをしているにも関わらず、代々木の仙人のインタビューを見て、私はあまり羨ましく思えなかった。

何故か?

彼が社会的な弱者であることを差し置いても、根拠薄弱だが個人的には看過できない点が一つ。


それは、「彼の言葉は経験に根ざしていない」気がする。


なんとなく、彼の発言が浮き足立っているように思える。なんだか重みがない。それが、言葉の端々から感じ取れる。

彼が動画で語っていた、「ロシア人は天才だ。革命が失敗することを予期しつつ、それを支持していたからだ。」という発言について根拠を求めたとする。
恐らく彼は本棚から溢れ出る書籍の中から、参考になるものを数冊出してくれるだろう。
しかし、私が「人生経験においてそれを実感したことはありますか?」と聞いたら、きっと彼は答えられないだろう。
もしそうなら、自分の信じたい知識だけを仕入れて持論を構築する、確証バイアスだかエコーチェンバーだかの虜になっていないとどうして言えようか。

実際に話したことはないし、全く確かではないが、そう聞こえる。直感がそう告げている。
なんだか、「代々木の仙人」の発言には、そんな軽さがある。ボディビルダーのように美しく鍛えているが、建築家の重労働には耐えられないような、脆さがある。
有り体に言えば、「高尚だけど、なんだか薄い」そんな気がするのだ。

この主張は、話している理論立てて話す人に対して「なんか気に入らない」とお気持ちで反発する人と何も変わらないかもしれない。
また、実際に経験に基づいた知識を披露していた際には完全に瓦解するものである。
それでも、この気持ちはきっと間違いではないと思いたい。

正直、魅力的ではある

それでも、心のどこかでは彼の生き方を羨ましく思う自分がいる。
本を読み、「1人で寂しくて心地良い」緩やかで退廃的で円熟な最期を迎える生き方に惹かれる部分もある。
理性的には「彼のように本で得ただけの知識や、経験に根ざしていない知識を語る、頭でっかちな人間ではありたくない」と思うが、一方で「彼と同じように教養人ぶって朽ちていくのもまた本望である」という気持ちも確かにある。


以上、代々木の仙人という、劇薬のような方の話でした。
一度、彼のインタビューを見てみてください。