ダンクが考えていること

ダンクのブログです。考えていること、勉強の記録、読んだ本などについて書きます。

音楽について。遅い出会いから初めてのライブハウス、新東京『NEOCRACY』まで。

 

 

ここしばらく、よく音楽を聴いています。

人によっては「音楽なんていつも聴いてるでしょ」と思われるかもしれませんが、私は音楽に縁遠い生活を送ってきました。
むしろ、音楽に対する朧げな反抗心があったとすら言えるでしょう。

 

かつて、通学中はノイズキャンセリングしたイヤホンを耳に詰めていました。*1

音楽を聴くときも、当時から好きだったほとんど唯一のアーティスト、東京事変か、あとは専らゲーム音楽*2を流していました。

特に、ボーカルのある曲全体と、ドラム(特にシンバル)が激しい曲全体に対して苦手意識がありました*3。思い当たる原因は、ゲーム以外で音楽を聴く習慣がなかったからか、もしくは自分が音痴だからか。

 

2020年、流行りの音楽を勉強する

音楽に興味がないだけならともかく、音楽を全然知らない状況に危機感を覚えたのは社会人2年目(2020年)の頃で、これにはいくつかのきっかけがありました。

  • 同年代と音楽の話が合わない。これは中高生の頃から一貫した悩み
  • ボドゲ「狩歌*4」が全く楽しめない上に浮きまくって、かなり気を遣わせた
  • 会社の先輩と飯に行った後、カラオケに誘われたが歌える曲が無いため断り、微妙な空気になった*5

他にもあった気がしますが、今ぱっと思い出せるのはこんなところです。

このままだと永久に音楽関係がコンプレックスになると思い、意識的に音楽を聴くようにしました。

早速、アトリエシリーズとVA-11 Hall-Aのサントラを聴くためだけに入れていたAmazonMusicをUnlimitedに更新しました。最初は、流行りの音楽を知れればいいと思い、通勤中に国内ヒットチャートを延々と聞いていました。この頃は別に楽しくはなく、勉強の気分でした。

2020年ヒット曲(シングル)。ここから聴いた。ソース:https://recochoku.jp/special/100891/

ヒット曲を粗方浚った後に攻めたのは「Myディスカバリー*6」です。

ここで知った音楽(藤井風とか夜好性*7とか)が数か月後にブレイクし、人生で初めて流行に乗れた気になりました。

 

「流行曲を押さえる」という当初の目的を一応は達し満足しましたが、流行というものは頻繁に移ろうものです。
その後も引き続き好きなサントラだけでなくMyディスカバリーも聴いたり、街中で聞こえる音楽へ熱心にShazamしたりしていました。

 

 

2022年、音楽にハマる

自分の中で2022年といえば、名古屋から三重に引っ越した年です。

2021年の秋ごろにスマブラを引退し、この頃は色々なゲームを触ってみたり、あとは図書館に通って本を読んでみたりしていました。
余談ですが、私の読書量が増えたのはスマブラ引退後からでした。

そう、読書。読書といえば、喫茶店*8
茶店といえば、音楽を聴きたくなるもの。これは諸説ありそう。

 

22年、三重への引越し直後によく通っていた喫茶店では7-80年代のJ-POPや歌謡曲が流れていました。
この頃はそれに影響されてシティポップを聞いたり、Night Tempoなどのネオシティポップも聞くようになっていました*9

 

このように、周囲に流れる音楽をとっかかりにして音楽を掘り進めていた日々でした。

この営みの中で、自分に刺さる音楽を見つけ、音楽鑑賞を勉強から趣味へと持ち上げてくれたきっかけが二つありました。

 

きっかけ①:水星 × 今夜はブギー・バック

まだ名古屋に住んでいた社会人3年目(2022年初頭)、行きつけのラーメン屋で流れていたBGMに衝撃を受けました。

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なにこれ!オシャレだしうるさくない*10!気持ちいい!

と、音楽好きの中学生が初めて親のCDや深夜のラジオを聴いて抱いたであろう衝撃を、10年遅れで味わいました。*11

ちなみに、タイトルの通り、この曲は『水星』と『今夜はブギーバック nice vocal』のマッシュアップです。

このラーメン屋では、元となる曲、『水星』の主要バージョン*12と、『今夜はブギーバック』の各バージョン*13が時折ランダムに流れてくるせいで、何度来店して聴いても別の曲に聞こえてしまい、混乱して仕方ありませんでした。

 

我慢できずラーメン屋のマスター*14に話を聞いて、ようやく全体像が掴めました。

そして、『水星』と『今夜はブギーバック』を聴きこんで再びラーメン屋に行ったとき、更なる衝撃を受けました。

 

「水星、いいですね!tofubeatsハマっちゃいました」

ラーメン屋のマスター「水星って、原曲あるの知ってる?(店内BGMに『KOJI1200-Blow Ya Mind - I LOVE AMERICA』を流しながら)」

「え、今田耕司?……すごい、イントロのメロディーそのままだしダサかっこいい……」

マスター「しかも、これにも原曲がある(『Geisha Girls - Blow Your Mind』を流しながら)」

ダウンタウンだ……完全に別物なのに確かに聞いたことがある……?(宇宙猫の顔)」

 

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こんなやりとりの後には、完全にtofubeatsのファンになってしまいました。

いや、tofubeatsのファンというのは間違いないですが、それよりももっと広く、「音楽、こんなに面白いのに放置していたのか!もっと掘らないと!」という衝動、あるいは使命感のようなものに駆られました。

 

きっかけ②:新東京『Cynical City』

23年春。この時期、私はマインクラフトにハマっていました。

初めてのマイクラで、黙々と木を伐り、テラコッタ山を整地し、ネザライトを掘る日々。

楽しい作業ゲーでしたが、作業ゲーというものは、どうしてもBGMが欲しくなるものです。

 

music.amazon.co.jp

↑マイクラのサントラ。これはこれで作業用BGMにかなりおすすめ。↑

 

この時期、マイクラのお供に好んで聞いていたのは、ラジオでした。

東海地方の人間なら誰もが知る(と思っている)ラジオ局、ZIP-FMを、朝から晩まで聞いていました。

radiko.jp

ZIP-FMradikoでも聴けます。プレミアム会員ならエリアフリーで聴けるらしい。↑

 

ラジオは軽作業に特に向いてると思います。毒にも薬にもならない話をしてくれる(失礼?)し、たまには役に立つ情報や、ちょっと気になる曲も流してくれる。

 

相変わらずZIP-FMを聴きながらネザーで地底人をしていたある日、ある番組が流れてきました。

それは、東京で話題のカルチャーを名古屋へお届けする、というものらしいです。

CULTURE RADIO via TOKYOの番組情報。ZIP-FMホームページより。

 

その日は、『新東京』という現役*15大学生の新人バンドがゲスト出演していました。

 

↑たぶんそのときの告知ツイート。↑

 

トークは聞き流してました。

なんか、ドラムかベースが難しいテクニックを入れたがる~~みたいな話をしてたような……。正直ほとんど覚えていません。

このバンドはデビューしたてで、最初のEPをリリースした直後で宣伝に来ていたようです。最後に、普通にデビュー曲を紹介して、そのコーナーは終わりました。

 

「それでは、曲紹介、お願いします。」

「『新東京/Cynical City』です。お聞きください。」

「本日のゲストは『新東京』ボーカルの杉田春音さんでした~!」

 

www.youtube.com

 

(えっ、かっこいい……!?)

 

(ベースかっけえ!なんか雰囲気キモくて(誉め言葉)面白い曲見つけたかも……!?)

 

音楽未経験、ボーカルありの音楽をまともに聞いてきた歴すら2年そこそこの自分には、これくらいしか魅力や感想を言語化できませんでした。(2歳の赤ちゃんにしては上等でしょう?)

ともかく、自分の中で何かの琴線に触れたのでした。

すぐにブランチマイニングの手を止め(あるいは既に止まっていたかもしれない)、即ShazamしてAmazon Musicで過去の曲を探し始めました。

この時点ではまだ4曲しか発表していなかったので、すべて聴くのは容易いことです。

 

(え~~『ユートピアン』も『36℃』もいいな~~、でもやっぱり『Cynical City』かな~~)

 

等々とニヤニヤ聴きながら、掘り出し物の新人バンドを見つけたことでご満悦でした。

その後も、チャンスがあれば友人の車で流しながら、「新東京、次来るから!」と布教したりしたこともありました。

 

このバンドは、曲ができたらすぐにシングルとして発表し、数曲たまったらEPでまとめる、というスタイルでコンスタント(ほぼ月一ペース)に公開されていたので、飽きずに今まで追いかけ続けることができました。

 

自分の思う推しポイント(歌詞に文学が滲んでる気がする*16とか、ベースがブリブリ利いててかっこいいとか(語彙力)、誰にも縛られないために『新東京合同会社』を設立してセルフプロデュースしているとか、結構あるのですが、ここで書き始めるとキリがない上にパッと言語化できるほど音楽知識もないのでまたの機会にしておきましょうか。

 

そんなこんなで、推しアーティストを見つけて、初めて「音楽、楽しい!」と思ったのが2022年でした。

 

2023年、プレイリストを作る/初の単独ライブ

4月。昼曲と夜曲を分割する。

意識的に音楽を聴くようになって約3年。

当初から気に入った曲はメモ代わりに「Myいいね」へ登録していたのですが、このリストを流していると、「昼夜とか季節感とかズレてて、これを聴きたいのは今じゃないなぁ」という曲が頻発してきました。

しばらくは我慢していたのですが、「Myいいね」のリストが500件を超えた記念に、満を持してプレイリストを分割することにしました。

 

まず作ったのは「好きな曲(昼)」「好きな曲(夜)」の2つ。

あんまり増やすと管理しなくなりそうだったので、最低限に留めました。

 

プレイリスト管理へ最初に手を付けたのが23年初頭ごろ。そこからはずっと昼曲と夜曲で分類し続けてきました。

23年末ごろ、運転中に流しても(会社の人間が隣で聴いていても)問題ない曲を厳選した「乗る(昼)」「乗る(夕)*17」を追加して、合計4つの(ボーカルあり曲の)プレイリストを管理するようになりました。

 

その直後。音楽好きの後輩との話

昼夜でプレイリストを分割し、聴き始めたころ。

このとき、会社の自分の担当に、1歳年上で1年だけ後輩の子が3か月のOJTで来ていました。

彼とはかなり趣味が合い、なろう小説を読んでたら数か月溶けていた*18話や、

学生時代に『けいおん!』でギターを始めて挫折したが、最近『ぼっち・ざ・ろっく!』を見て買い直し、OPや劇中歌を耳コピして練習している話*19などなど、すっかり意気投合していました。

 

そんな彼に、

私「最近、昼用と夜用でプレイリスト作ったんだよねー」

と話をしたら、彼は嬉しそうに語り始めました。

後輩「まじすか!俺以外にやってる人、初めて見ました」

彼は、時間帯(朝・昼・夕方・夜)に加え、季節(春・夏・秋・冬)のプレイリストを作っていました。

おまけに、季節感のある曲はその季節になるまで決して自発的には聴かない徹底ぶり。

後輩「〇〇聴きたいですけど、秋まで我慢っす」

私「半年先じゃん……」

 

そんな話をしながら、自分も季節でプレイリスト分けたいな、と思うようになりました。

当時は知っている曲数も少なくて作る勇気が無かったのですが、そろそろいけるかな、とも思ってきました。管理が大変なのでまだ踏み切れていませんが。

 

8月。初の単独ライブは奈々様

参加決定。正直行くか迷った。

8月1日、ある友人からLINEが来ました。

友人「突然だが8/13ガイシホールまで来れる?」

(お盆か。ガイシホール、聞いたことあるな、コンサートホールじゃないか?)

イベントスケジュールを調べたら、やはりこの日は水樹奈々のライブがあるようです。

 

正直、水樹奈々の曲をほとんど知らない(唯一知っていたのはETERNAL BLAZEくらい)し、アニソンはあんまり得意な方ではない*20ので、行くか迷いました。

何より、単独ライブというものが初めてで、そこはかとない不安がありました。

これまでに参加経験のあるライブといえば、PSO2のオーケストラコンサート、ガストブランド25周年ライブ、アトリエシリーズ20周年ライブだけだったのです。

 

しかし、「原則、断る理由がない限り、誘いは全て受ける」がポリシーの私は、他にお盆の予定がないことを確認し、参加表明をしました。

そこそこの祭り好きを自認している*21ので、楽しめないことはないだろうとも考えていました。

 

参加するならとセトリを見せてもらい、曲を聴きこんで待ちました。

幸運にも、「これ生で聴けたらアツいな」という曲もできました。

ライブ当日。特攻服、初めて見た。

そして来たる13日、日本ガイシホールへ。

参加した『NANA MIZUKI LIVE PARADE 2023』HP
会場内は開演前を含めて全面撮影禁止。そういうものなんだ。

会場に着くと、ファンの熱量は今まで参加したどのオフイベントよりも高く、水樹奈々プリントTシャツや水樹奈々グッズ、更にはグループ全員お揃いの特攻服で身を固めた頑強なオタクたちの姿がそこかしこで見られました。

 

非常に物珍しい気持ちで会場入り。

会場での立ち回りや入場方法など、誘ってくれた友人が非常に頼りになりました。

会場が大きかったので、もし一人なら何かで困ってたかも。

 

開演。楽しかった!

ライブの感想は、

  • 奈々様、歌うまっ!予習しているときに聞いた音源よりも生の方が上手い!
  • これだけ歌って踊っても最後までバテないのすごいな
  • ファンの熱量すごい!一曲終わるたびに近くから「奈々さーん!」「ありがとー!」って声が上がる。面白い。(コロナ後初の声出しライブだったためファンも特別気合が入っていたのかもしれない)
  • 観客の振付、練度高い!
  • 奈々様、リフトで飛んだ!観客に近い!ファンサ多い!
  • セトリを予習していったおかげで6割くらいはわかったし、曲知らなくても意外と楽しめる!周りに合わせつつ光る棒を振り回して応援するだけでも楽しい!

といった感じでした。多数のアーティストからなるコンサートとはかなり異なる趣で、人生初の体験でした。

経験者の友人が隣で解説してくれるのでライブ中の不安感も少なく、満足度も高かったです。

 

ちなみに今回のライブで一番好きだった曲はアンコールの『Sweet Dealer』です。

生歌はオトナな雰囲気でエロかっこよかった。

www.youtube.com

 

総評して、奈々様のライブは色々な意味で行けてよかったです。

ぜひまた行きたいし、他のアーティストのライブも行ってみたいと思いました。

 

9月。新東京が名古屋に来る!

……と思っていたら、立て続けにライブの機会がやってきました!

 

2024年3月3日、新東京ライブが6都市でワンマンツアーを開催決定!名古屋にも来るという発表があり、最速購入すべくリマインダーを登録して待つことに。

 

会場は、新栄シャングリラ。

地理的には割と行きやすいと反面、まさに絵に描いたようなライブハウスでちょっと怖い・・・

(ちなみにライブハウスに関してのイメージ源は『ぼっち・ざ・ろっく!』と、SNSで稀に流れてくる地下アイドルのライブ映像くらい。)

ま、どうにかなるでしょ、と思いながら迎えた9月、オフィシャル最速販売の日。

初めてのe+、若干出遅れ感がありながらも、即座に購入。整理券番号は5番!

……もしかして競争率高くなかった?

 

2024年、ライブハウスデビュー

当日。勝手がわからない。

そして迎えた翌年3月。

 

直前、元日の地震の関係で復旧のための能登出張がライブに丸被りして行けなくなりそうになったり*22

2週間前に十三騎兵防衛圏のオケコン参加のために相模原に行ったのち、現地でインフルを発症して早期帰還したり*23

そのインフルのおかげで出張が他の人に代理アサインされたおかげで奇跡的にライブに行けるようになったり……。

とかく色々ありながらも参加の運びと相成りました。

 

3月3日。

何と言っても初めてのライブハウス。なんとなくソワソワして前日は中々寝付けませんでした。こんなこと、いつぶりだろう。

今回は同行者がいないソロ参加なのであれこれと聞く相手もおらず、「ライブ 服装」「ライブ 初めて 注意点」などと出発直前まで調べてなんとか不安を払拭しようと試みていました。

現地のライブハウスに着いたのは15時。開場時間の17時半よりも2時間半も前でした。

新栄シャングリラ入口

 

会場を確認すると、すぐに駅に戻りました。ネットの初心者向け記事で見た、
「会場は暑い。上着は会場か駅のロッカーに入れるといい。ただ、会場のロッカーを使うと場所取りに出遅れる」

という知識を真に受けたためです。駅のロッカーに上着や防寒具を全部入れて、長袖Tシャツの中に薄手のニットを着込むだけの装いで時間を潰すことになりました。

3月に入ったのに、この日の最高気温は9℃。風もあり、通行人は誰もがコートやジャケットを羽織るような寒い日でした。

(ライブってなんて過酷なんだ……!)

と震える顎を食いしばりながら、会場隣のカフェに避難し、時間を潰すこと2時間。

 

開場前に物販が始まっている可能性があるので、開場30分前に退店し、会場前へすぐに到着。

結局、物販は開場後のライブハウス内にあり、普通に寒空の下で30分間待つことになったのですが。

待ち時間の中で気になったのは他の客の服装。

上着、普通に着てました。

荷物になるから脱いでくるんじゃなかったのか。

 

入場。場所取り失敗

17時半。スタッフの指示で整理券順に並んでいた私たちは、開場時間と同時に入場しました。

整理券番号は5番。3番と4番は17時半時点で現地にいなかったので、自分が3番目の入場。これは最前列確定!

 

階段を下りると、スタッフのお姉さんが一人立っており、ドリンクチケットを購入。

ライブ上級者の友人から、「600円は現金ですぐに出せるようにしておけ」と言われていたので、ポケットに仕込んだ小銭を出して難なく突破。感謝。

 

ホールに入ったら、入口付近に物販エリアが。

ライブタオルと最新アルバムは確保しておこうと、物販エリアに一番乗り。

ライブ後は物販が売り切れるかもしれないという前情報と、整理券1~5番で入場列が区切られていたので、物販に行っても最前列は堅いだろうと思っての判断でした。

 

しかし、ここで痛恨の判断ミス。いつもの癖でクレジット決済にしてしまったせいで、大幅なタイムロスを喫してしまいました。

 

「……機械、調子悪いですか?」

「ごめんなさい、アップデートに時間がかかっております~」

「現金でもいいですけど……(紙幣を取り出しながら)」

「いえ、すぐ終わると思います」

「……(遅い遅い遅い)」

 

ステージ前を見ると、モタモタしている間に後続の入場者が続々と最前列を陣取っていきました。

 

結局、支払いが終わったころには最前列がちょうど埋まりきって、2列目が並び始めたところでした。今回の立ち位置は2列目の中心あたりに落ち着きました。

開演待ちの一枚。最前列のソフトアフロ男がドリンクを取りに行っているうちに撮影。

開演は18時。

他の参加者は同行者とお喋りしたり、ドリンクスタンドで交換した酒を飲んでいたり、思い思いに30分の待ち時間を潰していました。

自分は喋る相手もおらず、一人なので持ち場を空けて行列になりつつあるドリンク交換に並ぶのも躊躇われました。

手持ち無沙汰のあまり、先ほど買ったアルバムのブックレットを読んだり、持ってきていた三島由紀夫仮面の告白』を開いてはみましたが、青い照明とLo-FiなBGMで完全にソワソワしてしまい、とても集中できません。

(ちょうど読んでいた『仮面の告白』の場面が、主人公が絵画「聖セバスチャン」で人生初のejaculatio*24をするところだったので、半分以上が女性客の会場で読むのがなんとなく気まずくなったのもある)

早々に本を閉じ、緊張の時間を存分に味わいました。

 

いつの間にか、300人くらいが入れるであろうライブハウスは、満杯になっていました。

 

開演。雰囲気だけでも伝わらないかな

7分ほど前からスマホの時計を確認する頻度が増え、ついに迎えた18時。

「18時だ」「そろそろじゃない?」「時間だよね?」といった声がチラホラと聞こえ、出演者の登場を待つ。

静寂の中で永い2分か3分を待つと、舞台袖からボーカル以外の3人が現れ、黙って楽器に着きました。ここでパラパラと拍手が上がる。

 

機材チェックを始めるのかと思った矢先。ベースの大蔵倫太郎が鳴らし始めたのは、耳障りにも思えるうねりを伴った重高低爆音。
そこに同調するようにドラムの保田優真が不定形のビートを刻み始める。
キーボードの田中利幸も不安になる低和音で追随する。*25

(自分は今、何を聞かされている?長くない?いつ始まる?もしかしてこれで機材チェックになっている?ライブってこういうもんなの?)

長らく待たされ、いよいよ始まったと思ったらギリギリ聞けるレベルの渦巻く爆音を聞かされ、もう始まっているのかもよくわからない大混乱に陥っていました。もはや、「いいから早う演奏せよ!」とイライラしていた気すらします。

 

2分?3分?5分?このざわつくプレリュードをどれだけ聞かされていたかもわからなくなったころ、ようやく、ボーカルの杉田春音が現れました。

観客からの拍手が止んだころ、ずっと流れていた破壊的な渦音はシームレスに変遷し、ある瞬間から、雰囲気そのままに最新アルバムの1曲目である『NTM』が始まりました。

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この一瞬間に、観客は沸き上がり、私も内部で何かが始まった感じがしました。あの情動は、それこそejaculatioにも似ていると今になって述懐するのであります。

 

このような感じでライブは進み、気付けば1時間半ほど経ち、終わってしまいました。

これ以上の詳細をここで並べ立てるのは冗長な気もしますので、奈々様の時分よろしく、感想だけをお伝えすると、

  • 今回の1stアルバム「NEO TOKYO METRO」で、完全にアルバムアーティストとしての曲構成を成していた*26が、今回のライブではアルバム内外から独自の繋ぎで構成しており、一夜限りのアルバムを聴いている気になった。
  • ベースが本当にかっこいい。イカした音を出す坊主頭がインパクトあり、当初からずっと気になっていたが、より印象が強くなった。

『NEO TOKYO METRO』ジャケット。左から、杉田春音(ボーカル)、大蔵倫太郎(ベース)、保田優真(ドラム)、田中利幸(キーボード)
  • ライブハウスというと、怒号に近い歓声で満ちていて、そこら中で飛んだり跳ねたり踊ったりするものだと思っていた。今回のライブは歓声よりも拍手の方が多かった。むしろ自分がトップクラスにハシャいでいた気すらする。自分の持ち場が脅かされることもなく、かなりお行儀がいい印象を受けた。(過半が女性客だからとかあるかもしれない)
  • 演奏の質が本当に高かった。サブスクで聴いていたときよりも更に超絶技巧になっていた気がする。原曲にないソロパートが頻繁に挟まれたおかげで、各楽器の働きがよく感じ取ることができた。
  • サブスクで曲だけを追いかけていたときよりも、アーティスト自体を応援するようになった気がする。目の前に本人がいて、トークからもメンバーたちで工夫して頑張っているところがよく伝わってきたことは大きい。

 

いやもう、すごい体験でした。

 

終演は終焉ではないらしい

アンコールも終わり、フロアが明るくなってもしばらく会場を離れる気になりませんでした。

周りの客に、「マジですごかったっすね!!!!」って声をかけそうになる衝動を何度も抑えていました。

少し客も減り、物販コーナーでライブ中に紹介があったドリップコーヒー*27を買い足し、ドリンクチケットでペットボトルの水を交換したので、もうこれ以上いても仕方ないと思いライブハウスを出……出ようとした……ところに……!

なんと!いるじゃないですか!新東京メンバー全員!

 

入口付近でライブタオルにサインをしてもらっている人がいて、
(え、マジで?)
って顔でちょっと覗いてたら*28

「グッズを買った方は誰でも大丈夫ですよー」

というスタッフのお墨付きをいただいたので、列に並びました。(といっても今書いてもらっている人と自分しかいませんが)

 

前の人がハケて、私の番。
ちょうど自分もタオルも買っていたので、前の人と同じようにサインをお願いしました。

 

書いている間は話ができたので、感想を伝えようとしたのですが、興奮冷めやらぬ中で、自分でも何言ってるかよくわからなくなっていました。

「(タオル出して)よろしくお願いします!」

新東京「はーい」

「すっごくかっこよかったです!あの、今回が初めてのライブハウスだったんですけど、本当によかったです!」

新東京「お!記念すべき初陣ですね。(他メンバーに)初ライブだって」「嬉しいねー」「だいぶ前の方でしたね」

「(観客のこと認識できるんだ、すげえ)気合入れて5番目取っちゃいました」

新東京「おー」「また名古屋来るんで、ぜひ来てくださいね」

「はい、名古屋ならもう全然、頑張って来ますので(???)、よろしくお願いします!(?)サインありがとうございました!(お辞儀しながら退散)」

 

ライブハウスを出て、時計を見たら20時前。

(何言ってんだろう自分)
若干の恥ずかしさと、

(ベースかっこよかったです!とか言いたかったけど贔屓してるみたいだし言わなくて正解だったのかな)

迷いと、

(でもライブよかったな……)
一向に醒めぬ興奮と、

あとは上着を着ていないのを自覚させる寒気とで、ニヤニヤしながら駅まで駆けていきました。

 

この先の話。初めての野外ライブへ。

3月31日:COICE 50 (tofubeats/ STUTS/ DAICHI YAMAMOTO/ OMSB)

ライブ後の夕食は、ライブハウス近辺の中華料理屋*29を開拓しようと思っていました。
しかし、ここまで最高の思いをしてきているのに、もし残念だったりして佳い一日に水を差すのも癪だったので、咄嗟に予定変更。
『水星×今夜はブギーバック』の話をした、例のラーメン屋に行くことにしました。

 

このお店は非常にいい日本酒とおつまみを出すので、お気に入りなんです。

アルコールも入り、すっかりいい気分になって、マスターに今日の話をしていました。

 

マスター「日曜日の夜に来るの、珍しいよね」

「さっきまで新栄でライブがあったんですよ。(中略)~~、そう*30、実はここでtofubeatsを知ったのが音楽に興味をもったきっかけで~~(中略)~~、また他のライブも行ってみたいですね~」

マスターtofubeatsのライブ、今月末にあるみたいだけど?これ行ってみればいいじゃん。大阪だから近い近い」

私「まじすか、行きます!……チケット取っちゃったエヘヘヘ(ほろよい)」

これ。tofubeatsのライブ取っちゃったエヘヘヘ

ということで、tofubeatsのライブに行くことになりました。

 

正確には対バン形式(使い方あってる?)のようで、

tofubeats/ STUTS/ DAICHI YAMAMOTO/ OMSB の4人が参加するそうです。

前半2人には馴染みがありましたが、あとの2人は初めて聞く人だったので、予習しています。

 

5月24,25,26日:森、道、市場2024

帰路。思い出してよかった

その日の帰り道。

名古屋から三重への長ーーい電車に揺られて一日のことを思い返しながら、ふと思い出したことが一つ。

 

(森、道、市場……そろそろチケット販売始まってない?)

 

『森、道、市場』とは、毎年5月にラグーナビーチ/ラグナシアで開催される、大規模な野外ライブイベントです。

 

恐る恐る公式サイトを確認すると、販売期間は2月19日~3月11日。つまり来週の月曜まで。危ね~~~~!

 

回想。「『森、道、市場』。あれはおすすめできる」

実は去年の夏、フジロックに行こうとしていました。

新東京が去年のフジロックに初出演すると聞いたためです。

しかし、その情報を知ったのはなんとフジロック前日。
当然、チケットは売り切れていました。泣く泣く諦め、翌夏の参戦を考えていました。

 

その話をDJをしているらしい会社の同期にしたら、「悪いことは言わないからやめておけ」と強く反対されてしまいました。

何故?

これまで私は、フジロックといえば夏のZIPで毎年紹介されてるイメージしかなく、誰でも気軽に行けるイベントだと思っていました。

しかし、実際にはそんなに甘い代物ではないようです。

  • 会場が本当に広く、ステージ間の移動が徒歩2,30分かかるのはザラにある。
    炎天下で一日中立ちっぱなしなので、相応の体力が必要。(3日間フル参加した後、2日間は消耗しすぎて立てない。仕事など勿論行けないので、合計1週間くらい有休を取れる環境が必要。)
  • 宿泊はキャンプをする必要がある。
    周辺の宿泊施設は前年のフジロックが終わったタイミングで既に埋まっている。(そもそも知り合いしか泊めないとか普通にあるらしい)
  • 真夏の3日間開催のため、雨対策、熱中症対策が必須。
  • そもそも、野外フェスは一人で参加するものではない。
    楽しいけど、感情を共有できないと空しくなる瞬間がどうしてもある。

などなど。DJ同期曰く、フジロックは「金、休日、友人、体力を兼ね備えた最強の人間だけが楽しめる最上級者向けライブ」とのことでした。

 

流石にフジロックは諦めました。

同時に生まれた、「じゃあ、初心者はどこ行けばいいの?」という至って自然な疑問を投げてみました。

この問いへの回答は極めて具体的にして明解。

「『森、道、市場』。あれはおすすめできる。」

morimichiichiba.jp

 

『森、道、市場』は、

  • 会場が蒲郡なので東海民は比較的行きやすい
  • 5月の開催で体力的にかなり楽
  • ショップや飲食店が非常に充実している。仮に音楽がイマイチでもショッピングで楽しめる
  • 会場が整備されていてきれい

という、至れり尽くせりの環境だとか。

実際、親子連れも多いといいます。

 

実はこの『森、道、市場』、名前を聞くのはここが初めてではなく、

例のラーメン屋のマスターからも、去年の『森、道、市場2023』開催1日目のタイミングで紹介されていました。

ただ、そのときは琴線に触れなかったので、適当に流していました。

 

しかし、今となっては、求めている回答が比較的近くにあり。しかも全く違うタイミングで二者からおすすめされたとなれば、行かない理由などなく。

 

翌年の開催の折には必ず行こう、最悪一人でも行こうと思っていました。

 

ライブ翌日。チケット取れた!

ライブの翌日、さっそく友人たちに『森、道、市場』の誘いをしました。

「森、道、市場」のお誘い。ライブに人を誘う経験がないので若干ドキドキ。

結果、一人は自分と同じく3日間フル参加、二人は土曜日の単日参加で同行してくれることになりました。本当にありがたい。

 

無事に3日通しチケットを購入。ホテルも2泊分予約して準備は万端。

こうして、3月末、5月と音楽イベントに参加する機会を得られました。

しばらくは退屈はしなさそうです。

 

 

おわり。音楽は趣味です

こんなところで、学生の頃から続いた音楽に対する苦手意識は大部分が払拭され、今では楽しく音楽漁りができるようになりました。

 

ここまでの数年で出会ってきたオススメの曲もここで紹介しようと思ったのですが、文量があまりに嵩んでいくことがわかりきっているため、またの機会に。

 

1.5万文字ほどもある長いこの記事を最後までお読み頂き、ありがとうございました。

*1:一時期は通学中にASMRを聞いていたりもした

*2:当時遊んでいたPSO2アトリエシリーズ、VA-11 Hall-Aなど

*3:当時は一般的なバンドの構成でアップテンポな曲全般を「うるさい曲」と断じて嫌悪感があった

*4:かるうた。J-Popにありがちな単語(「あなた」「永遠」「指先」など)が取り札として展開され、プレイヤーの好きなJ-popを流して歌詞に出てきたものを取るかるたゲーム。J-popあるあるを話して楽しめるパーティーゲーム

*5:このときは責める感じではなかったが、そのうち不機嫌そうにされる人が出てきてもおかしくはない

*6:Amazon Musicのプレイリスト。毎週月曜日に更新され、個人の履歴や好みから、聴いたことのない曲が自動で選択される。

*7:YOASOBI・ヨルシカ・ずっと真夜中でいいのに など、この時期流行った「夜」がつくアーティストの総称

*8:読みたい本があっても家ではゲームをしてしまうので、本を読みたいときは喫茶店に行くのが私の習慣。

*9:元々シティポップに興味があった。きっかけは、20年に遊んだゲーム『十三騎兵防衛圏』の劇中歌『渚のバカンス』。80年代J-popをサンプリングしたフューチャーファンクというジャンルを知り、なんとなく気になっていたけど、当時はピンとくる曲が見つからなかった。ちゃんと聞くようになったのはこの頃から。

*10:この頃でさえ、かつてあった「うるさい曲」への忌避があった

*11:動画のサムネイルを見ればわかるように、この曲は缶チューハイ『ほろよい』のCMで流れていた曲です。残念ながら自宅にはテレビが無いので全く知らなかったのですが

*12:feat,オノマトペ大臣 版と、feat,仮谷せいら

*13:小沢健二がメインのnice vocal版とスチャダラパーがメインのsmooth rap版。『今夜はブギーバック』は2種類が同時にリリースされているコラボレーション作品のため、どちらかが原曲という関係ではない

*14:昔DJをやってたとか。大将って感じではない

*15:当時。現在は休学中だったはず。

*16:例を挙げるなら、最新曲『NTM』の歌詞<人を蹴落として手に入れたサッカリンはまやかしで>は、「権威主義的な社会から脱出しようぜ、各々が好きに表現しようぜ」的なアルバムテーマを考えると、『一九八四年』オマージュかと勘繰っている。最近知ったが、ベースの倫太郎が書いた小説があり、バンド初期だけ販売された幻のファングッズになっているらしい。

*17:自家用車を持っていないため、社用車の運転中を想定している。(昼)は始業後から昼過ぎあたりまで、(夕)は陽が傾き始めるか、残業になりそうな予感がしたら流すことを考えて選曲した。

*18:なろう小説のせいで大学受験に失敗し、留年しかけ、就活まで失敗しかけたらしい。

*19:流れてきた曲は演奏できるまでアニメの先を見れないセルフ縛りをしていた。そのせいで当時既に放送終了から3か月以上経っていたのに、まだ5話くらいまでしか見ていないようだった。面白い男だった。

*20:アニメのOPは飛ばす派

*21:フェスじゃなくてフェスティバル。郡上の徹夜踊りとか毎年楽しみにしている(毎回行けてるわけではない)

*22:大雨・台風・地震の後には仕事が増える。インフラエンジニアの宿命。

*23:コンサート当日は症状が出る前で、気付かず参加してしまった。運よく友人たちには感染(うつ)さず済んだが、かなり肝を冷やした。コンサート自体は非常によかった。テクノな崩壊編の音楽を違和感なくフルオケに落とし込んでいて感心したし、『渚のバカンス』を生で聴けて本当によかった。

*24:射精

*25:表現力か音楽用語知識が足りない。強いて喩えるなら、PS2の起動音をメタリックに禍々しくしてバンドで再現した感じ??

*26:曲間の連続性や全体としてのメッセージ性から。これまでのEPでもあったが、より強く感じさせた

*27:ボーカルの杉田くんが自分で選んだブレンドらしい

*28:事前にチケットか何かで予約している人だけのサービスだと思っていた。あと、PSO2のオフイベに参加したとき、開発陣へ自然発生したサイン列をスタッフが迷惑そうに散らしていた光景がフラッシュバックした。

*29:雲南料理というちょっとレアな地方料理を提供する店員も客も中国人ばかりの店

*30:ちょうど店内BGMで流れてた

新年の抱負

あけましておめでとうございます。

遅い?もう7日?

7日までに出す葉書は年賀状、8日からは寒中見舞いになるってどこかで聞いたので、今日までは「あけおめ」で大丈夫とさせてください。*1

 

 

毎年、地元の神社で初詣に行きます。おみくじも引きます。

昔はおみくじ機があって、10円玉を入れたら自動で出てきたんですが、小学生か中学生の頃には既に壊れてたんですよね。

それからの初詣は不完全燃焼気味だったんですが、ここ2,3年くらいは、拝殿に神主さんがいらっしゃって、そこでお守りと一緒におみくじ付きゴーフレットが売られるようになってます。1パック2枚入りで100円。

 

こちらがその結果。神社がプリントされているありがたいゴーフレットは祖父母にあげました。

末吉。

書いてあることを見るに、待ちの一年になりそうです。

 

さて、昨年は、教養人を目指して随分と本を読みました。

今年の調子はどうかと、気になるおみくじの「学問」のところを見ると、

 学問 早目に目標をたて全力を尽くせ

と書いてあるではありませんか。

昨年はただ本を読んでいただけだったので、今年こそは計画的にいきたいな、と思います。

 

せっかくなので、自分に関係ありそうな他の項目も、目標を立てちゃいましょうか。

 

 

旅行(たびだち) よろし さわりなし

  • 昨年10月ごろ参加した読書合宿*2が非常によかったので、今年もまた1回以上やる。
  • まだ行ったことのない場所に行く

 

学問(がくもん) 早目に目標をたて全力を尽せ

  • 漫然とした「読書」を「学習」に変える(方法は考えてるけどまだわからない……)
  • 図書館で「借りる→読む→返す→その場で何か借りる→読む……」のサイクルを途切れさせない。これをしないのは自分の本を読むときか資格勉強してるときだけ。読む習慣を維持する。
  • 来年度上期に1つ仕事関係の国家資格を、下期に1つ社内資格を取る。何を取るかは決めてる。

 

恋愛(れんあい) 誠意を示すことが大切
縁談(えんだん) 叶うともおそし さわげば破れる

(危機感だけはあるが何も思いつかないし行動する気もない……)

 

転居(やうつり) 十分ならず

  • 目下予定はないが、もしかしたら夏の人事異動でどこかに飛ばされるかも。
    転勤先の物件は、条件をよく見てちゃんと希望を通す。

 

病気やまい) 弱気にならねば治る

  • 持論「食事・体温・睡眠の3要素のうち、2つが欠けると体調を崩す」を念頭に、無理しないで体調をケアする。
  • せっかくポケモンスリープをやってるので、ちゃんと寝る。カビゴンに嘘をつかない*3

 

 

こんな感じでしょうか。

 

年末年始は、個人的にはあまりイベントはありませんでしたが、社会的には色々あったみたいですね。

かくいう私も来週から仕事で被災地入りなので、気を付けて行ってきます。

インフラエンジニア感、たまには出していきます。

*1:執筆時点ではまだ7日。公開は8日なのでちゃんとアウト。

*2:知り合いのオタク3人で長野の旅館に宿泊し、持ち寄った本を読みふけるだけの会

*3:たまに睡眠時間をサバ読んでた

実家の飯が不味い:母と祖母と12歳の作文。それと兄からのLINE。

序文。今回は閲覧注意

12/29

酒が入ると暗い話をしたくなる。

普段、何もしていないと、次から次へと過去の苦しい思い出や今後起こりうる憂鬱な出来事を考えてしまう。

日中は仕事*1やゲーム、読書で紛らわせられるが、夜、無心になるとつい頭に隙間ができてしまう。

自然状態で考えている事柄なだけに、やはり語りたいことは多い。しかし他人の不幸・不安の話を聞きたがる人など誰もいない。必然的に内へ溜まっていく。

だから、酒が入り、口の戸が立たなくなると暗い話が溢れ出てくる。

酔った人は隣の人間にダル絡みするものだが、私が飲むときは大抵隣に誰もいない。だから文章を書く。

本当に誰も喜ばない他家の暗い話だから、誰も読まなくていい。ただ、読むと、私のメンタリティの中枢を掠めるかもしれない。

こんなことを文章化する意義は、薄れつつある幼少期・学生時代の記憶をとどめておくことにある。過去にも個人用のメモで何度か文章化しようとしているが、失敗している。

かつて親鸞は『正信偈』を編む際、ありがたい教えを一文字記すごとに涙したという。これまで、この話題について文章を書くとき、一文字ごとに深くて暗いところへと落ちていく気がする。グラフに喩えるなら降伏電圧を超えたダイオードである。 これに耐えられなかったのが失敗の原因である。

酒と仕事納めとブログの力を借りて、今夜はココロの深淵まで潜ってみる。

実家と祖母と母

実家

実家は6人家族だった。

父方の祖父母、両親、兄と私。

祖父母は地域の産業だった紡績業の流れを汲み、裁断業を営む自営業だったらしいが、私が生まれた頃には既に引退していた。

両親は私の幼児期こそ祖父母の裁断業を継いでいたが、地域産業の衰退に伴い、私が小学生の頃には父が塗装業を開業していた。母はパートをしている。

 

祖母

幼い頃の私から見た祖母は、活動的な人間だった。

祖母は老人会つながりのイベントにいつも参加していた。

 

孫の自分が知っていただけでも、

菊の栽培(冬は植木鉢をリビングに入れて暖房を炊いたり、結構本格的だった)、

詩吟(老人会の詩吟の会合について行った覚えがある)、

ゲートボール(たまに大会があった)に取り組んでいた。

ゲートボールなんかは、私も実家の工場(こうば)で遊んでいたことがある。

 

老人会とは関係ないが、農作業もしていた。実家の庭に加え、母校の小学校と中学校の近くに畑を2つ借りて祖父と二人で面倒を見ていた。

 

しかし、私が10歳くらいのとき、当時75歳くらいの祖母は、それらを全て辞めてしまった。断片的に聞いたところでは、老人会の人間関係が嫌だったとか。あるいは単純に疲れてしまったのかもしれない。

その後も老人会の集まりはたまに顔を出していたようだが、手のかかる趣味の類は全て辞めた。借りていた畑はしばらく持っていたが、私が中学校を卒業する頃にはどちらも手放した。

 

活動的だと思っていた祖母は、いつの間にかずっと家か庭にこもりきりになっていた。それでも共働きの両親に代わって料理を作ってくれたり、祖父母自身の分の家事は自分でやっていたが、いずれにせよ一日中家にいるようになった。

引きこもりがちになった祖母は(畑を手放してからは祖父も)、見る間に元気を失っていった。

年相応に病気には罹っていたが、それを差し引いても、体力よりも気力の衰えが顕著だった。

学生時代の私は母離れできていないできていない子供で、母もまた子離れできない人間だったと思う。

 

母は月曜から土曜はパートタイムの仕事をしている。私が小中学生の頃は違ったが、高専に入ったくらいからは、現在まで食肉加工の物流センターで働いている。

 

小学生の頃、私は兄とドッジボールのスポーツクラブに通っていた。日曜の午前中はドッジボールに行って、午後は母親と、(休工日なら父も加えて)どこかへ出かけていた記憶がある。

 

中学生になっても、暗黙のうちに、休日は母親と毎週どこかへ出かけていた。特別行く場所などないので昼前にショッピングモールや満喫、親戚の家へ行き、夕方になるとスーパーに寄って帰宅する。

毎週一緒に行動していたことへの理由は特になかったし、一緒に来いと強制された記憶もない。強いて目的を挙げるとしたら、日曜日以外は毎日パートに出ている母親と、塗装業の一人親方不定休の父親への、子供なりの家族サービスのつもりだった。

 

高専生になってからも、実家を離れた兄の車を借りて友人宅に入り浸るようになった20歳の年まで、その習慣は続いていた。この頃は明確に、親の休日でも自室にこもってゲームしていることに対して引け目を感じていた。

中高生の私は、些か内向的だが、両親に対して反抗期のない、とても、とても「いい子」だった。

暗黙のルール

昔はよかった?

母はたぶん昔から祖母のことが嫌いだった。

俗に言う「嫁姑問題」である。

祖母は昔ながらの家庭観を重んじている。例を挙げるなら、

「年中行事はしっかりやる」

「食事は記念日以外、基本的には三食とも家で食べるべきである」

「朝食と夕食は一家全員が揃っているべきである」などと考える人だった。

18時に夕食が完成していても、父が帰る20時まで待つことは珍しくなかった。

一方で、母は祖母からの不干渉を強く望んだ。裏を返すと、母は祖母が生活に口を出してくることを気に入らなかった。

2階は両親の部屋と私と兄の寝室だったが、祖母がたびたび2階に上ってくるごとに、母は機嫌を悪くした。

(逆に言うと、母が1階のリビングでくつろいでいる姿を、私が実家で暮らした21年間で一度も見たことが無い。私の乳幼児期は流石に知らない。)

母は、そんな祖母のことを疎ましく思いながらも、態度に表出させることは少なかったように思う。少なくとも、私は、歳が一桁だったときはそのことに全く気付いていなかった。

幼少期の私にとって、自宅は居心地のいい空間だった。

 

そんな母の態度が変わったのは私が10歳の頃である。そう、祖母が家にこもりがちになり始めた時期である。

 

家にいるようになった祖母は、以前よりも家のこと、家族のことに口を出すようになった。

母が休みの日にも祖母は大抵家に居るようになり、頻繁に家事のことで話しかけた。

そうなると、母の祖母への態度は急激に硬化していった。

 

台所事情

実家の台所事情は母と祖母の分業制だった。

 

車でスーパーまで買い物に行くことが難しい祖母に代わって、母が毎週日曜に一週間分の食材を買ってストックしておく。

祖母は、日曜以外は働いている母に代わって、祖父母だけの昼食と、6人分の夕食を作る。献立は、冷蔵庫に恣意的に配置された食材から判断するか*2、あるいは母の「明日は〇〇を作って」というオーダーを聞いていた。

 

朝は大抵、夕食の残りか、母による(多めに作られた)弁当の具を食べていた。 母によって朝飯が作られることもあった。けっこう美味かった。

 

夕食のメニューはカレーとお好み焼き、味付済みの鶏肉が比較的多かった。

これらには利点があった。

カレーは調理が簡単で、米にかけてすぐに食べ切れること。

お好み焼きは一気に焼けないため、食べる人だけが時間を分けて食卓につけること。

鶏肉は母のパート先(鶏肉加工場)にて格安で手に入り、また調理が簡単なこと。*3


私はお好み焼きを食べ過ぎて嫌いになった。

静かな食卓

母の叱責

こうして毎日の食事が作られており、母の態度が悪化してからも続いた(おそらく今も続いている)が、以前とは少し事情が変わった。

 

祖母によって、米を炊く量を間違えたり、作る料理を間違える、使うべき食材を見落とすと、母が祖母を叱責するようになった。

食事時に祖母が「腕が痛い」「鍋が重い」などと言うと、母も「私も一日中立ちっぱなしで辛い」などと文句を言っていた。実際どちらも苦労していたと思う。(自分は何をしていた……。たまに手伝ってはいたが……。)

 

こうした諍いは、夕食時に発生した。

 

 

食事時間が苦痛に

そのせいで、次第に夕食から会話が消えていった。小学生の私は、純真無垢、悪を知らない天使のような子供だった(全く冗談ではない)。

この頃は全く気にすることもなく二つ年上の兄ととりとめのない話をしていたと思う。この時期は単純に関係悪化がそこまで表面化していなかったかもしれない。

→さっき知ったが、そんなことはなかった。小学校高学年当時の私は、「母と祖母の喧嘩」だと認識していた。兄からのLINE参照。

 

しかし、そんな私も、中学・高専に上がるにつれ、実家の居心地の悪さに気づいた。食事の時間が苦痛だった。

祖母の弱音と母の刺々しい物言い、無言で食べていた父がこの頃から言うようになった、独り言のような「うめえなあ」という具体性に欠けた感想*4胃がん退院後の祖父の嘔吐き。

あとは食器の音が虚空に消えるだけの食卓で、楽しい話などできようものか。

ちなみに食事中はテレビが切られていた。祖父母の意向だった。

 

言論統制

食卓において私の席は、母の右、祖母の左だった。

母は、母自身のことを祖母に知られることを蛇蝎の如く嫌った。正確には違うかもしれないが、私はそう解釈した。

「先週の日曜に母さんと〇〇に行ったとき——」などと不注意に話すと、テーブルの下で左から脚を軽く蹴られるか、腿をつねられた。顔を見ると母は目だけでこちらを睨んでいた。

 

普通に話をしていたら、自分では全く問題に思わなかった何かが気に入らなかったらしく、蹴られたこともあった。

そうなると、時折こちらもムキになって小さく肩をすくめ、「何が悪いのかわからない」というジェスチャーをしたり、にやりと笑ってそのまま話を続けることもあった。

 

この時点で、既に家族団欒の場にあるべきコミュニケーションではなかった。

 

小食で早食い

多忙な父は食事を食べるというより詰め込むと、すぐに事務所に引っ込んだ。

兄はリビングでテレビを見始め、母はすぐに洗い物を始めた。

食事には20分も必要なかった。ゆっくり食べていたのは祖父母だけだった。

私も可能な限り速やかに食べ切った。急かされている気がした。

高専時代、夕食で食べていた米の量は今の7割程度だった。今の一食分は0.6合程度で、今考えると当時はかなり少なかった。ちなみに昼の弁当には夜の倍くらい入っていた。

ちなみに自分で量を調節していたので虐待ではない。偶然か必然か、当時の私はラーメン以外の食に興味が無かった。

 

無言で掻き込み、食器を水で軽く流す。食洗器を買ってからは、食洗器に突っ込む。そしてお勝手*5を出る。

中学時代の自分はニコニコ動画メイプルストーリーに、高専の頃はPSO2スマブラにハマっていた。

はやく自室でゲームがしたいのは間違いない。しかし、残って飯を食う祖父母がどうしても不憫に見えて仕方がなかった。私は、しばしば、お勝手の出口、扉のあたりに突っ立って、洗い物をする母と飯を食う祖父母を眺めた。母から「何しとんの」と言われるまで眺めた。それ以上のことはできなかった。

祖母は強情

こうなってしまった時点で、祖母には酷だが、母に対する干渉をやめて、自然と家庭内別居のような形になっていればよかった。しかし、祖母は強情だった。

「家族はこうあるべき」という理想を強く持ち、それを我が家へ必死に適用しようとしてしまった。

 

私が高専生の頃、祖母がその思いを母に訴えたこともあった。

やはり激しい言い争いになった。

二人の語気が強くなったあたりで自室に駆け込んだ。

大きな物音が聞こえた時点でイヤホンをつけた。

 

詳細はわからないが、それによって何かが変わった実感はなかった。

そういえば、いつの間にか朝食は一緒に食べなくなっていた。

私と祖母

私と祖母の関係も、母と祖母の関係に少なからず引っ張られた。

 

私と祖母は、小学校の頃までは一緒に遊んでいた。

まわり将棋や挟み将棋をよくしていたし、両親に買ってもらったばかりのDSLiteNewスーパーマリオブラザーズミニゲームを遊んだこともある。

ほとんどが「ばあちゃんには難しいわー」と断られたが、ミニゲームのひとつ、[ボムへいをわけろ!*6]だけは異常に上手く、私が何度やっても記録を抜けなかった。

 

また、祖母に100点満点のテストを持っていくと、「あんたはえらいッ!」と頭を撫でられ、お小遣いを100円くれた。

中学、高専になっても、祖母から私への扱いは変わらなかった。 *7

私の方も、中学まではいい孫をしていたと思う。しかし、高専に入ると少しずつ生意気になっていった。

 

私の生活習慣は日に日に崩れ、昼夜逆転の様相を呈した。

午前2,3時までゲーム、朝6時に起きて寝ながら飯を食い、7時の電車で通学した。

そんな私を両親は叱ったが、祖母の叱責は両親のそれよりも一際多かった。

 

もう寝る時間まで家族に指図されるような歳じゃない、と思いつつ、何を言われても生返事で、ろくに話を聞かなかった。

祖母は強情だったため、毎日私の部屋に来て注意した。*8

あまりしつこいので、両親には来なかった私の反抗期は、祖母に向かった。

 

明確に反抗することはなかったが、最終的に高専を卒業するまで、なんとなく素っ気ない対応を続けていた。*9

母vs祖母という構図において明確にどちらかに味方したいわけではなかったが、祖母に反抗するという形で一致してしまった。

この関係——具体的には、無言の夕食を家族全員で摂り、祖父母*10との会話は、「おはよう、おやすみ、いってきます、ただいま、風呂出たよ、」その他少数の日常会話だけの関係——は、私が就職し家を出るまで続いた。

現在の私と実家

『たまに息子が帰ってきたら会話も弾むだろう』作戦

今、実家には2か月に一度ほど帰っている。

学生の頃のように両親との外食はたまに行くが、実家で手料理を食べることはほとんどない。*11

 

しかし、こんな自分でも実家の飯が恋しくなることはある。

実際、年に1,2回は実家で食べることはある。

 

しかし、会話はやはりない。

少し話を振ってみるが、返事も乏しい。

というか、祖母が会話に入ったとき、母を点火させない話運びをする自信がない。

 

本当に殺伐としている。

実家の飯の風景に「殺伐」なんて言葉など使いたくないが、この上なくしっくりきてしまう。

 

正直、もう、帰って食べた実家の飯の味など覚えてない。

攻撃性を孕んだ声を聞くごとに、実家に帰ったことを後悔してしまう。本当に辛い。

昼間なら

社会人になってから推進していた『たまに息子が帰ってきたら会話も弾むだろう』作戦は効果が薄い。

もはや食事の場での団欒は諦めた。

しかし、やはり祖父母が不憫に思えて仕方がない。連休で帰省する日は昼間に帰って、ぼんやりテレビを眺める祖父母と並んで本を読んでいる。

学生の頃よりも更に元気なく見える。たまに振られる話題は5年前からほとんど同じもの。

「(ダンク)は、、、〇〇に就職したんやっけ?」

「おぉ、ええ会社やなぁ。給料はいっぱい貰っとるかね?」

私:んー、ぼちぼちやなー。

「そうかね。若いうちはたんと貯めやぁよ」

「ええ嫁さん見つけなあかんよ」

私:嫁さんなぁ、出会いがないなぁ。

「そうかぁ、じいちゃん、楽しみにしとるよ」

私:お土産、買ってきたから食べてよ。今回はほうじ茶ロールケーキ。冷蔵庫入れとこか?

「おお、わざわざありがとうねぇ。今食べるわぁ。——んーっ、こんなうまいもん、食べたことないわぁ」

兄からのLINE

どうしてこんなことになってしまったんだ、という悔恨の念に駆られながら文章を書いていた。

そうしていたら、今年、この関係で特大のトラウマエピソードを引いてしまい、放置していたことを思い出した。心の整理のため供養する。

 

現在、兄はフリーで営業の仕事をしながら、実家の塗装業を手伝うため、頻繁に帰ってきている。

 

兄は、物置部屋になっている部屋を片付けて自分の部屋を作ろうとしていた。

そんな兄から、3月にこんなLINEメッセージが届いた。

 

「12歳のぼく」から両親へ充てた作文と、それを見つけた兄

 

兄「さらに13年、仲直りしてません笑笑」

文章とサムネイルから、小学校のなんらかの行事で、私が両親に充てた作文だと確信した。何を書いたかはなんとなく覚えていた。

 

このメッセージを見たのは会社で、勤務中だった。直視したら正気でいられないことを確信した。

あの作文が現存していたという事実に驚愕。

前触れなく最もセンシティブな事実を直視したことへの憔悴。

何より、「あの」作文を読んだ上で、本人へ茶化せてしまう兄への失望と憤懣。

サムネイル中の原稿用紙を見ないよう薄目を開けつつ、震える手でなんとか返信。

 

「廃棄で✋」

 

とにかく動揺を悟られまいとするので精一杯だった。

結局、その後数日間ずっと思い出してはキレていたし、今も許してはいない。

あのメッセージから9か月。ようやく心の整理がついたので、読んでみた。

最初、文字起こししようとしたが、発狂しそうだったのでやめた。

気になったら読んでみてください。「12歳のぼく」の字なので、読みづらいですが、親になった気分で読んでみてください。

12歳ということは、小学校卒業あたりの保護者同伴イベントですね。

関係悪化してから2年くらいです。

両親の前でこれを音読した覚えがあります。

当時はただの喧嘩だと思っていたみたいです。かわいいね。

本人に言えば、仲直りしてくれると思ってたみたいです。かわいいね。

さらに13年、仲直りしてないね笑笑

……ぼく、あのときから仲裁に入ってるじゃん。なんも悪くないじゃん……

 

 

終わった話ではない

ひとしきり書いていたら夜が明けた。編集してたら昼になった。アルコールも抜けた。文章を読み返しながら締めの文章を打っていたら涙が止まらない。画面が見えない。嗚咽が止まらない。誰か助けて。

 

これじゃ年末帰れない。

 

 

 

 

 

 

 

*12

*1:仕事だって憂鬱?最近、まだマシに思えてきた

*2:例:はんぺん、ごぼう巻き、こんにゃくを手前に寄せる→おでんのサイン

*3:鶏肉を除き、こんなこと直接聞くわけがないため想像。だが遠くないと思う

*4:当時、夫婦間に何かあったらしいが掘り下げない

*5:キッチン=勝手場のことを実家ではそう呼んだ

*6:赤色と黒色のボム兵をタッチ操作で左右にあるエリアに仕分けする。一度でも仕分け先を間違えるか、ボム兵出現後に一定時間経過し、爆発するまでの個数を競う。

*7:次第に100点が取れなくなり、また100円の価値も相対的に落ち、「また100点取ったかね?」がストレスになった。

*8:自室はもともと客間だったため、部屋のドアに古めかしい型板ガラスが嵌まっている。室内の様子こそ見えないが、部屋が明るいことは一目でわかる。

*9:今では後悔している。今では、帰省のたびにお土産を買って帰っている。喜んではくれているが、根本的な解決にはなっていないことも理解している。

*10:祖父は大抵祖母と一緒にいるためこうなる

*11:普通に夜に予定があることもあるし、実家飯を食べないために寄り道することもある。

*12:本文を読み返したら、母を余りにも悪しざまに書きすぎていた。母は悪い人ではない。
母は定常的に子を愛している。私も母に甘えっきりだった。
たぶん、子が先に死んだら追いかけて死ぬタイプ。
祖母と仲が悪かっただけだった。そう思っている。
ただ、離れて住むようになり、一歩離れて見ると、感謝は揺るがないが、家庭内の振る舞いには考えさせられるものがある。

『情報の歴史21』が面白い話

こんばんは。

以前の日記で本をおすすめしようと文字数が思ったより増えたので記事を分けました。

dnk.hatenadiary.com

ということで、早速ですが、こちらの本を紹介させていただきます。

 

情報の歴史21: 象形文字から仮想現実まで*1

情報の歴史21: 象形文字から仮想現実まで|松岡 正剛 (監修), 編集工学研究所 (著, 編集)

 

 

『情報の歴史21』とは

本書は、人類の誕生から現代(2020年)までの、情報編集の歴史を網羅するという構想から生まれた壮大な世界史年表です。

初版の『情報の歴史』は「日本の電話開通から100年」を記念して、1990年にNTT出版から発行され、1996年に増補版が出てからは長らく絶版となっていました。

こちらは2021年に出版された最新増補版となります。

 

 

『情報の歴史21』Amazon商品サンプル画像より。商品URL(短縮)→ https://x.gd/UNssq

紙面は見開きでひとまとまりの構成をしており、年を下るほどタイムスケールは細かくなっていきます。

太古は数千年~数百年単位でまとめらていますが、1900年からは見開き1ページで1年の出来事が掲載されています。


見開きは年代に合わせて設定された5つのテーマブロックから構成されており、例えば上画像が属する1996年以降は、左から「世界政治動向」「経済・産業・金融」「思想・社会・流行」「芸術・文芸・文化」に設定されています。

 

「情報の歴史」と銘打っていますが、読んでみると、オールジャンルを概観しているように見えます。

確かに、文学も美術も政治も科学も、おおよそ文明と呼べるものは凡て情報編集と情報伝達の賜物だと考えると違和感はありません。

 

『情報の歴史21』との出会い

私が『情報の歴史21』を知ったのは、『私が愛用する辞書・辞典・図鑑』という本です。

この本は、ライター、教授、主婦、辞書マニアなど、さまざまな方が日常的に愛用する辞書・辞典・図鑑を紹介してくれます。

その中で誰かがオススメしていたのが、初版の『情報の歴史』でした。

私が愛用する辞書・事典・図鑑 | 中沢新一(監修)

 

有史以来の情報の歴史を一冊にまとめるというロマンある内容に惹かれ、いつか読んでみたい、せっかくなら最近出たらしい『情報の歴史21』が欲しい、と思っていました。

それから数か月後、縁あって大型書店で見かける機会があり、定価7,480円という圧力に怖気づきながらも購入。


ミッチリと文字が詰まって500ページ超という値段に恥じない情報量を前にして、読み物よりは道具として使おうと思い、たびたび活用して今に至ります。

弁明させていただくと、こう思ったのは文章量の問題だけではありません。
単純に読み物としても面白いはずですが、他の本と読み合わせて総合年表として使ったとき、真価を発揮すると判断したためでもあります。

 

利用シーン1:大正期の小説を探す・読む

最近、『大正処女御伽話(タイシヤウヲトメおとぎばなし)』という恋愛モノの漫画を再読しました。*2

大正処女御伽話 1 (ジャンプコミックス) コミック|桐丘 さな (著)

 

その後、大正期の上向きの世相と、想像よりも開放的な恋愛観に惹かれて当時の恋愛小説を読んでみたくなりました。

最初に「大正・昭和初期の恋愛小説」でググってみて、目ぼしいタイトルは抑えていましたが、『情報の歴史21』でも探してみました。
日本文学のスペースには、当時活躍した作家や、流行した作品が載っていました。

ネットで調べるときは、小説は「大正・昭和初期の恋愛小説」という大雑把な括りで紹介されていました。

一方、『情報の歴史21』では1年ごとに分けて記載されているので、流行作品・作家の細かい移り変わりが把握できるようでした。*3

また、小説の出版前後に起こった事件や当時の技術・世相が同ページに書かれており、昔の本を読むときしばしば問題になりやすい、「作者の時代の常識が通用しない」というギャップが少し解消されました。

少しだけ、100年前の人間に寄り添いながら読めた気がしました。


ちなみに、そのとき読んだ小説は、

或る少女の死まで 他二篇 (岩波文庫)|室生犀星

痴人の愛 (新潮文庫)|谷崎 潤一郎』

です。どちらもよかったですが、『痴人の愛』は本当に凄かった……。本当に100年前の小説か途中で確認しちゃいました。衝撃です。

感想はこちら。ネタバレ注意。

bookmeter.com

 

利用シーン2:化学史の書籍と読み合わせる

学術書を読む』という本で、「初学者が一冊目の本選びに困ったら〇〇史の本を読め!」という主張がなされていました。

そこで、試しに『現代化学史』を読んでみました。

現代化学史: 原子・分子の科学の発展 | 廣田 襄 (著)

なるほど、これはいい!自分の義務教育レベルしかない断片的な化学知識が学問の発展と共に肉付けされていく気がする——と感動しながら読んでいました*4

 

『現代化学史』の導入文で、「化学は新しい学問」と書かれていました。

1770年代、科学者たちの間では、二酸化炭素を固定空気、窒素を有毒空気と呼び、燃焼には「フロギストン(燃素)」が必要だと信じられていました*5


ここで、同時期の他の科学分野や産業はどうだったか気になって、『情報の歴史21』を開いてみました。

そこには、「化学は新しい学問」という主張を裏付けるように、1770年代は、物理学では電気力の逆二乗の法則*6万有引力定数が発見され、産業分野ではミュール紡績機が開発されています。

同時期だと思っていた産業革命に至っては、初めて実用化されたのは1712年で、1770年代では既に工業分野で広く蒸気機関が使われているようです。

また、横のテーマブロックに目を向ければ、アダム・スミスが『国富論』を出版したとか、イギリスで世界初の労働組合が結成されたとか、相互に絶妙に絡み合っていそうな記述が容易に見つかります。

 

このように、歴史上の前後関係や、あるイベントと同時期に発生した各分野の出来事が一目で概観できることは、『情報の歴史21』が手元にあることの大きなメリットだと感じます。

 

一人必冊

正直、まだまだ『情報の歴史21』のポテンシャルを発揮できているわけではありません。

しかし、本書を他の書籍と一緒に読み合わせることで、専門的な知識に加え、時代的に横の繋がりを得られることがよくわかりました。

 

本の帯に書いてある「一人必冊。驚異の世界同時年表」という売り文句は伊達じゃないと思います。

あらゆる読書家におすすめしたい、値段に見合った一冊です。

情報の歴史21と大正処女御伽話。でかい。



ちなみに、読書メーターには未だ「読んでる本」に入り続けています。

この本が「読んだ本」に登録できる日は来るのでしょうか。

*1:身内向けには3月に紹介したことがありますが、秋ごろに買って幾らか読んだので改めてオススメします

*2:3,4年くらい前、少年ジャンプ+で連載しており、毎週、砂糖を吐く思いで読んでいた。今に至るまで唯一の、完結まで読んだWeb漫画。

*3:その代わり、情報量はネット検索に分があるので使い分けは必要だと感じた。

*4:学問は過去の発見を踏み台に発展するため、学問の勃興から追うと理解しやすい、らしい。

*5:ラヴォアジェがフロギストン説を否定する論文を出したのが1785年

*6:クーロンの法則のこと。このときの発見者はキャヴェンディッシュ

日記:月並み

こんばんは。ダンクです。

最近は取り立ててイベントがないので、ありふれたことを書きます。

 

年末感がない

もうあと1週間で年が変わるそうです。

早すぎる。体感ではまだ11月なんですけど。


学生の頃と比べて時間の進みが早くなったと感じるのは誰しもが思うことですが、私も人並みに実感しています。

社会人、それもインドア派の一人暮らしだと、家でも仕事でも季節感あるイベントが皆無なので、私の場合はそれが原因なのでしょう。

夏は「暑い中の外仕事はしんどいな」と思うだけの季節だし、

冬は「寒い中の外仕事はしんどいな」と思うだけの季節です。


夏だと海とか川、冬でもスノボや温泉なんかに行く人なら、もう少し季節に心身がついていけるんだろうな、

 

と思いながら家か喫茶店で本を読んでます。


誰か連れ出して。

 

資格勉強

夏から秋にかけていろいろ読んでいましたが、今月は資格の勉強をしています。

仕事で必須ではないが昇級・昇給に響く、情報通信系の資格です。


この類の資格はひたすら専門用語を暗記して過去問を解きまくるのが正攻法らしく、これがとにかく面白くない。

必要だから勉強してるわけですが、この一年積み上げてきた勉強への意欲をじわじわと消費している気がします。

また、趣味の本を読んでいても、
「これ読む時間あったら資格勉強してた方がいいかなぁ」
とか思ってしまって集中力が続かないのも苦しいです。

12月から勉強を始め、試験日は1月下旬。勉強期間は標準2か月程度らしいので、期間的にはギリギリですが、進捗は悪くないはず。

あと1か月、なんとかやりきります。

読書の習慣

読書の習慣自体は学生の頃からありましたが、その優先度が上がったのが今年の3月ごろ。

それまでは、空き時間は可能な限りゲームして、通勤時間に本を読んでいました。

今年は、常に図書館から本を借りて、返すタイミングでまた新しい本を借りるようにしています。
これにより、定期的に本への興味を復活させ、また返却という期限をつけることでサボらないようにするのが狙いです。
(今月は資格勉強のために本を借りてませんが!)


割と飽きやすい性格なので、ここまで続いているのは我ながら偉い。


ここしばらくの読んだ本で最も「面白かった*1」ものを一つ紹介……しようとしたのですが、書き始めたら想像以上の文量になったので記事を分けます。

 

↓記事はこちら。暇なら読んでいただけると嬉しいです。↓

dnk.hatenadiary.com

 

読んでも読んでも積読は増えていくばかり。読書メーターには89冊と書いてありますが、この数字が本当なのかもわからない。

そもそも、図書館の本で読書モチベを保っている時点で、積読消化は絶望的なんですよね。

 

とりあえず今は、積読の山から放出される不思議な電波(現代科学では証明されていないが脳に効くらしい)を浴びながら、それらが読める日を夢見て資格勉強に耐えます。

 

ボドゲ熱再燃

以前住んでいた名古屋のアパートには、歩いて行けるところにゲームバー兼ボドゲカフェがありました*2。結構な頻度で通い詰めていました*3
そこは、昼から翌朝まで遊び放題の、社会人の楽園でした。そのお店のおかげで、古典から流行まで、パーティーゲームから重ゲーまで、数々のボドゲに触れてきました。

また、地方都市ながらそこそこの好立地を活かして、自宅に人を呼んでスマブラボドゲのオフ会を開いてみたりもしました。

そんな感じで、去年の夏までは、ボドゲを遊ぶのに必要な「人・場所・時間」というリソースを全て持ち合わせている最強のボドゲーマーでした。


しかし、去年の夏に引越ししてからは、ボドゲをする機会が激減してしまいました。

それもそのはず。


人:知り合いが近くにいない!

場所:見ず知らずの人を呼べるほど広くない!*4

時間:(これだけはある……)

このように、三要素のうち二つを失ってしまいました。

それでも、たまに地元でボドゲの誘いがあれば片道2時間半かけて帰るような涙ぐましい努力をしていましたが、遊べる機会が減ればボドゲのことを考える機会も減り、ひいてはボドゲに対する意欲も減ることは必至です。

 

今の部屋にある本棚に押し込まれたボドゲをお披露目することもなくなり、このまま死蔵するか、邪魔だし実家に送るか、とも考えていました。

そんな私(とボドゲたち)を救ったのは、同じアパートに住む、会社の同期でした*5。彼は、私が転勤初日の自己紹介で「ボドゲが趣味です!」と話していたのを覚えており、声をかけてくれたのでした。

「ダンクさ、ボドゲちょっとやってみたいんだけど」

 「そりゃ僕だってやりたいけど、場所も相手もないのよ」

「後輩誘ってみたら?あいつら来るでしょ」

 「でも場所が」

「俺の部屋使う?」

 「マジ!?!?!?」

 

ということで、最近、同期の部屋を借りてボドゲしています。

同期と後輩とカタン通常版。プレイ後

ここ1か月で5回くらい。けっこう高頻度で遊んでいます。

私以外は全員ボドゲの経験がほぼ無く、最初は触れやすいゲームを持っていきました*6が、回数を重ねるにつれ、すこし複雑なゲームも回せるようになって、ボドゲーマー心理的にも満足しています。

直近ではカタンがかなり好評でした。個人的にカタンはあまりいい印象が無かった*7のですが、この集まりのおかげで払拭してくれて感謝しています。

同期がまだカタンで一度も勝てずに悔しそうなので、念願の初勝利に立ち会ったら、航海者拡張を買って持っていこうと思っています。

 

 

話題というものは書き始めてからあれもこれもと思いつくもので、ここに書ききれないものもできてしまいました。

気が向いたら今年中に更新します。

*1:interestingであり、excitingでもある

*2:そこにはスマブラの強豪が集まることでも知られていた。そのうち触れるかも。

*3:ポイントカードを見たら、2020年春~2022年夏の間で100回は入店しているらしい。恐怖。

*4:以前はTwitterのフォロワーや地元の知人を呼んでいた。

*5:今住んでいるアパートは、会社の住宅補助を受けて貸与されている。広義の社宅。

*6:チャオチャオ・もっとホイップを!・インサイダーゲーム・モダンアート・Dixitなど

*7:過去の経験から、4人で遊ぶと誰かはボロ負けでスマホを触りながらサイコロを振るのを待っているイメージだった。知名度の割に高難度で、後半の逆転も難しく、初心者にやらせるのはリスキーだと思っていた。

日記:僕とおじさん

内容の割に長い(約3000字)ので3行でまとめる


2023年11月26日

13時

高専通学中、5年間、毎朝同じ電車とバスに乗ってたんです。

実家の最寄り駅は1時間に4本通るローカル線の無人駅で、確か6時50分ごろの乗車。

夜ふかし盛りの10代後半には早過ぎる電車で、半分くらい立ったたま寝て乗車を待つ有様でした。

生活を省エネ化すると、ルーチン化するものです。僕は、改札を通り、一つしかないホームに入って左側のベンチ横が定位置と化していました。


4両分の長さのホームには通学時間帯でも合わせて2,30人しか並ばない。
ここで毎朝同じ時間、同じ場所にいると、自然と、話しかける間柄でなくともなんとなく知った顔の人が出てきます。


僕の中でひときわ印象が強かった人がいました。
その人は、いつも僕の隣で電車を待ってたスーツのおじさんでした。

そのおじさんは、見事に前頭から頭頂にかけてはげ散らかしており、また見事な洋梨型肥満の出で立ちです。
風貌を喩えるなら、極めて失礼ながら、ファンタジーの悪徳貴族か種付けおじさんが適任でしょう。

田舎といえば大人の通勤には自家用車を使うもので、学生ばかりが待つ駅でその大柄な体型は少しばかり浮いていると感じました。



僕はそのおじさんと5年間、一緒に電車を待ちました。

盛夏の焦れる日はおじさんの肥えた顔に汗がにじみ、ハンカチで額(から頭頂部)を拭う様子を、(太ってると大変だなぁ、ハゲたくないなぁ)と思いながら。

厳冬の暗い朝はいつもの黒のスーツに真っ黒なコートを纏ってくるのを、(なんでこの人は車で行かないんだろう)と思いながら。



僕は、片道1時間半かかる通学の、早すぎる電車に辟易していました。
それなのに、このおじさんが、通勤、つまりこの先何年もこの早朝に電車に乗ることを思い、一家を守るおじさんへの敬服と自身の将来の境遇に絶望を感じていました。


また、多感かつ失礼なガキながらに、ともすれば性犯罪者に仕立て上げられそうなこのおじさんが痴漢冤罪に巻き込まれたら、真っ先に弁護してやろうと静かに奮起していました。



終ぞ一言も会話することはありませんでしたが、僕はおじさんへの同情からくる、ある種の親愛の情を覚えていた気がします。



僕は、高専5年生になり、普通免許を取って自動車通学に切り替えました。*1

その直前。4年生3月、最後の電車通学の日。


いつものホームのいつもの場所に、学生と並んで立ついつもの太ったおじさんがいて、僕もいつものように眠い目で並んで待ちました。
しかし、内心だけは最後になる電車とバスの通学に少し浮ついていました。


「あの、すみません。僕、この電車で通学するの、今日で最後なんですよ。通勤、頑張ってください。」


言うか?いやいや、言えるわけないし、言わなくてもいい。仮に話したところで、予想される返事なんて、いいとこ、「はぁ、ありがとう?」か、最悪、「誰?」くらいですよね。

結局、そのまま定刻通り来た普通電車に無言で乗りました。そうして何事もなく電車通学は終わりました。




これが、5年半ほど前の出来事。

僕も実家を出て、忌み嫌っていた社会人になっていました。
社会人も5年目になり、学生時代を思い出すことも少しずつ減った気がします。





ところで、今、僕は実家から居住地へ電車で帰ってる途中です。

実家から自宅まで乗換2回、2時間ちょっとの電車道
乗りたかった電車の発車直後で、次発の電車は15分後。
電車移動長くて面倒だなーとか、どこで寄り道しようかなーとか考えながらホームで待ってました。




しばらく待って、電車が来ました。降りる人が7,8人ばかりいたので、降車を待ってから乗車......ッ!?






あの肥満体型!



あの禿げ頭!



あのスーツ!





紛れない、見間違うはずがない、あのおじさんだ!





5年半ぶりに見たはずなのに、記憶の具現の如く、あのときから一切の変容がないおじさん。

彼は、最後に電車から降り、こちらを一瞥することもなく、そのまま歩き去っていきました。




時間にして僅か2秒ほどの出来事ですが、猛烈なノスタルジアに襲われ、また謎の使命感に駆られ、今、特急に揺られながらこの文章を書いています。




今の気持ちはさながら、『君の名は。』で瀧くんと三葉が東京の電車越しに再開するシーンのよう。

登場人物は成人男性とおじさんですが。
結ばれなくてよかった。




17時

この文章を書きながら、電車通学を終えてからというもの、薄情にも、あのおじさんを思い出したことがほぼない気がしてきました。
言わば、私の中では、あのおじさんは、もう存在しないし現れることもない、過去の登場人物になっていたのです。

過去の登場人物であったおじさんを意識した途端、同じようにこれまでに逢った登場人物の一人一人に人生があることも意識せざるを得ず、空恐ろしい気分になりました。





昔から、自分以外の人間に自分と同じように人格があることを、理解はしていてもあまり信じていませんでした。*2

こんな僕に、会話したこともないおじさんは、「無論、俺の人生もあるぞ、俺からしたらお前はただの通りすがりだぞ」

と語りかけてくれるようです。






19時

まあ、この経験をこれから先どう活かす、ということもなく。
なんなら今、夕食を済ませ、帰宅して続きを書いている最中ですが、すでに興奮はほとんど冷めてしまいました。

ですが、

「今日こんなことがあって衝撃を受けたよ、あのときの気持ちは本物だよ」

と、このままでは今日の出来事そのものを忘れ去ってしまうであろう明日の自分に伝えるため、このまま書き切ってしまう次第なのであります。


最後までお読みいただきありがとうございました。

*1:電車バスで片道1時間半かかる通学が40分になった

*2:トゥルーマン・ショーに出てくるエキストラがイメージに近いかも?もちろん人ではあるけど、あくまでも登場人物、みたいな

畜生

どうも、ダンクです。

AC6とパネポン、楽しいです。

自分や周囲の近況をお話しします。お聴きください。

 

太夫―Dramatic torso (1) ─ 鬼外カルテ (ウィングス・コミックス)



ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

期待のアトリエ新作が出ると思ったら~

ソシャゲでした~

チクショー!

 

 

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

AC6に合わせて休暇を取っていたら~

コロナで夏季休暇が全部消えました~

チクショー!

 

 

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

短期出張で手当てを稼ごうと思っていたら~

毎日飲み会でマイナスでした~

チクショー!

 

 

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

ボドゲ会に行ったと思ったら~

アムウェイの巣窟でした~

チクショー!

 

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

2年前の誰かのミスを見つけたと思ったら~

電話を取った自分が詰められました~

チクショー!

 

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

ウロボロスを食べて不老不死だと思ったら~

ハニーチュロでした~

チクショー!

 

 

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんちゃちゃんちゃん

 

 

死は救済だと思っていたら~

上司と同じ地獄に落ちました~

チクショー!

 

 

ハニーチュロの円環は完全性のメタファー

 

 

 

ありがとうございました。

サタデーナイトにまた会いましょう。

 

 

 

 

本家