ダンクが考えていること

ダンクのブログです。考えていること、勉強の記録、読んだ本などについて書きます。

昨日の散歩。転勤族になって。

こんにちは。ダンクです。

 

もはや口にするまでもないですが、最近暑いですね。

そんな日々にありながら、昨日*1は夕方からは比較的涼しい日でした。ちょうどやっていたゲーム*2で疲れていたのもあり、21時前と遅めの時間ながらも、少し散歩に出てみました。

 

目的地は夜の間だけOPENする、馴染みの喫茶店。最近行けてなかったので久々に顔を出そうとしたのと、ご飯モノも作ってくれるので夕食を一緒に済ませようという目論見です。

 

自宅から喫茶店までは徒歩で30分。道中で買ったアイスの実を齧りつつ上機嫌で歩きます。一人ならスキップすらしてたかも。
しかし不運にも、目的の喫茶店のマスターは隣に新しく開店したスナックまで出前に出かけており、不在でした。*3

茶店。どこからどう見てもバーかスナック。

マスターに連絡を取ると、30分は待たされるとのこと。

仕方ないので、他所で食事にすることに。

 

ということで、飲みに行きました。徒歩だから心配無用!

なんでも、東海でそこそこ名のある某手羽先チェーンの元店長のお店だとか。まさに隠れた名店。

いい感じに酒が回ったところで本来の目的地へ。

マスターから「いきなり来なくなったけどどうしたの」とか聞かれたり*4
「喫茶○○(隣町の喫茶店)行きましたよ~*5」とか話したり、
流れてるデッドプールのDVDをチラ見しつつ持参した『異常論文*6』を読んでたら、いつの間にか0時半に。客は自分しかおらず、閉店まで時間は少しあるものの、追加注文する気もなかったので退散しました。

異常論文|樋口恭介(ハヤカワ文庫JA

初めはこのまま帰って寝るつもりでいましたが、アルコールとカフェインで気持ちよくなった頭ではそんな普通なことで我慢できるはずもなく。

(どうせ明日も予定ないし、もうちょっと寄り道してもいいかなぁ。そうだ、夜の海いいじゃん。海行こ、海。)

 

 

ということで、自宅とは逆の方角へ更に歩くこと20分、海へ着きました。

海なし県で生まれ育った私、たぶん生まれて初めての真夜中の海。
え、怖っ。夜の海って昼よりも迫力ないですか?
波の音が大きく感じるというか、どこまで砂浜でどこから海なのかわからなくて呑み込まれそうというか。実際は堤防上にいるから全然心配はないんですけど。

気を紛らわそうと歩きながら聴いていたイヤホンのシティポップが一曲流れる間には誰か*7とすれ違っていたはずなので、思ってたより人はいましたね。

折角だからと、まだ若干ビビりながらも堤防の階段を降り、砂浜に立ちます。スマホのフラッシュで照らしつつ、砂浜の端でいい感じのコンクリ斜面に寝転がりながら星空を眺めました。
砂浜はさすがに無人。空が広くて星が多い。自宅近辺よりも強い海風が涼しい。

2時の砂浜と海と空。パッとしない25歳を代表する個人的ベストの一枚。

 

(なんか遠いところに来ちゃったなぁ)

脈絡がないようですが、ここにきて、転勤族も悪くないかも、と思ってきてます。

私は、19年と22年に県外の引越しを経験しており、どちらも本気で嫌がっていました。実家を出るときなんて、絶望感でマジ泣きしてましたし*8

でも、実家から出なかったら、こんな時間にふらっと一人で海を眺めるなんて、想像もできなかった。実際にやる・やらないって話ではなく、選択肢にもならないところがポイントです。

もっと言えば、実家にいた頃の自分を考えると、それこそ一人で飲みに行くことすらしなかったでしょうし、きっと今ブログを書こうとも思っていないでしょう。きっと、漫然と日々を消化していたに相違ありません。

 

ところで、人間は元来、定住地を決めない狩猟採集民だったことは広く知られています。
頻繁に変わる住環境に対応するよう進化してきたはずで、現代のように数年~数十年も同じところで生活するライフスタイルに適応せざるを得ないのは、人類的には本来不自然なことだと言われています。

思うに、生活をルーチン化しない方がより楽しく刺激的に暮らせるのかもしれません。
実際、引越し直後で、何時に起きれば会社に間に合う、どの通勤経路が一番早い、近場に美味くて安い店はあるか、と毎日考えていた頃の記憶の方が鮮明に残っています。

通勤経路から少し逸れたところにある食堂の、平日朝限定”理想の朝食セット”。美味かったが、引越し直後以来、一度も行けていない。理由は言わずもがな。

転勤はめんどいし、荷造り荷解きの作業なんて非生産の極致だと思っているけど、住む環境を変えること自体はそんなに悪くないかも。

とはいえ、面倒事が嫌なのは確かだよなぁ。手っ取り早く非日常感がある何かがあればいいんですけどね。

 

これを一言にまとめると「生活に彩りを」なんて擦り切れたスローガンになるんだろうな、と考えながら帰路に就き、無事、3時前に散歩を終えました。

 

その夜は変なテンションにアルコールとカフェインが重なり、目ギンギン&頭ガンガンでほとんど眠れませんでしたが、その翌日である今でも反省してないので、またやりに行くと思います。

 

ありがとうございました。それでは。

*1:2023.07.22

*2:ブループロトコル。グラフィックやお祭り感、あとマルチの距離感あたりは理想的だけど、アドベンチャーボードとクエストのお使いが退屈すぎてやらなくなる動機として十分すぎる。昔やってたメイプルストーリーのお使いクエストとPSO2のマターボードを合わせたような苦行。令和に出るゲームではない。もう少し遊びやすくなったら戻るかも……

*3:この喫茶店は歓楽街の中にあり、注文を受けて近くの店に軽食を持っていくことが結構ある。その間は店が閉まる。これが普通なのかは知らない

*4:4,5,6月は図書館通い詰めたり、ブログ書き始めたり、実家の用事で忙しかったり、ゼルダと隻狼で時間持っていかれたりしてた

*5:マスターが独立前に長いこと働いてたと聞いていた。近くで仕事中にランチで行ったが、やけに飯が美味かった

*6:論文とか学術書チックな文体でSF的題材について論じる短編集。まだ前半だけど、高尚すぎて(あるいは高尚ぶりすぎて)理解できないものも結構ある。今のところ『掃除と掃除用具の人類史』が好み。

*7:カップルとか釣り人?密猟者?とか

*8:厳密にはモラトリアムの終わりと予想外の引越しの二重で絶望してた

5月のメモ:ブログの赤ちゃん

こんばんは、ダンクです。

ゴールデンウイークが終わったら6月になっていました。不思議ですね。

 

 

ブログの赤ちゃん

「書きたいことはそこそこあるけど、一本の記事にできる気がしないなー」って思いながらブログの赤ちゃん(ネタを忘れないためのメモとブログ下書きの中間)*1を個人用メモに書き溜めていました。

ブログの赤ちゃんはそれなりの数になったのにブログは1か月更新しない体たらくなので、ここでまとめて放流します。

このメモ自体はブログとは関係なく続けている習慣です。社会人になる少し前に始めて、もう5年目!当初は短文のメモとかネタ帳って感じでしたが、今では気が向いたときに書く日記です。

今月のメモを読み返しながら、5月から今日までを振り返ってみたいと思います。

 

注1:気分が動いたときに書いているので、やや気持ちの浮き沈みが激しいです。

注2:人様に見せられる形に改変しています。

注3:日記は「だである調」で、後から足された文章は「ですます」調または口語調ですが、気にしなくていいです。読みづらかったらごめんね。

 

5/1

GW前半

金曜:実家へ
土曜:友人J宅でスマブラして宿泊
日曜:岐阜スマ15
月曜:友人T宅でハトクラ会


岐阜スマの話は単発の記事にしたので読んでくださいね。

dnk.hatenadiary.com

ハトクラは2版発売からかなり遊んでたけど、最近はだいぶペースが落ちてきたかな。ハトクラPCの新版の発売日予告があったらまた再燃するかも。
あっ、昨年末に「来春 アーリーアクセス開始」って告知出してたの、記事書きながら思い出した。俺たちの春は終わらない。

 

5/4

夜の終わりを日の出ととるなら

ポエムを書こうとしたらエッセイのような何かになったもの。『夜の終わりを日の出ととるなら』


夜の終わりを日の出ととるなら、夜が終わった町でたった一人。
徹夜明けの僕だけは夜に取り残されている。


⚫︎夜の終わりを"理解"する

今日と地続きに明日があること、夜の後に朝が来ることはもちろん”知って”いた。
しかし、夜の終わりを初めて"理解"したのは、高専のテスト期間だった。

車の音が聞こえなくなるにつれ高まる背徳感と高揚感、自室でも感じるひんやりとした空気、静寂の町を切り裂く新聞配達のバイク、想像よりもずっと速く登る太陽、昼間よりも元気な鳥の音。
知識では”知って”いても真に”理解"しているとは言えないことが、山ほどあるのだと、あのとき初めて”理解"した。

そして、その中で自分は夜に取り残されていることも"理解"する。

 

⚫︎夜に取り残される

徹夜した日は自分だけが夜に取り残されている。

夜と朝、朝と昼、昼と夜が切り替わる瞬間は、経験に基づく。
人々が朝昼夜をある程度共有しているのは、個人の感覚を外れたた基準(時計)があるおかげである。生活から時計を取り上げたら、朝、昼、夜というものはより曖昧で、属人的になる。

自分にとっての朝昼夜が始まる条件を以下に示す。

  • 朝が始まるのは、夜に寝たあと、目が覚めたら周囲が明るくなっているとき。
  • 昼が始まるのは、陽が出ている環境下で、
    平日・休日問わず、11時以降だと認識したとき(自分の中で「おはよう」と「こんにちは」を使い分けるのがおよそ11時のため)。
    平日は、(現場作業員なので)事務所を出て最初の一仕事を終えたとき。
    休日は、一日で二度目の食事をしたとき。あるいは、起床後、何か作業をした後にその日最初の食事をするとき。
  • 夜が始まるのは、仕事の定時(17時半)。あるいは、日が落ちた後に最初の食事をするとき。あるいは、陽が落ちて空が暗くなっていることを実感するとき。

時折、朝昼夜の判断が世間と大幅にずれることがある。例を示す。

  • 時計がない生活で正午に起きたとする。自分の中ではそれは朝の始まりであり、起床後すぐに摂る食事は朝食である。
  • 昼食を摂らず、時計も確認しないで朝から夜までゲームし続けた日は、朝が終わらないまま既に暗い空を見て夜を実感する。つまり、昼のない日が存在しうる。
  • 徹夜した日は、空が明るくても自分にとって夜は終わっていない。このとき、自分だけが夜に取り残されている。

あなたの夜の終わりはいつですか?

 

手元の本が読めない

自宅は、「やりたいこと」より「楽なこと」をしがちになる。なかなか本が読めない。

読書に一番集中できる場所は図書館だけど、図書館に行くと新しい本を読みたくなる。

茶店に行くと、複数冊の本や事典を並行して読みたいとき、面積・重量的に限界がある。あとお金がかかる。

ちょうどいい解決法はないものか。自宅で集中できるようにするのが最良だろうけど……。

 

5/7

ゲーム&ボドゲ

今日はGW最終日。

昨日の6日土曜、地元の友人で集まってデジタルおよびアナログゲームをした。

「やった」「やってない」などと駄々をこねながらニコロデオン*2を遊んでたら夜になってた。

どうも、パウダードトーストマン改め、コナコナトーストマン使いのダンクです。


その夜、参加者のうち二人と飲酒。時間も遅く、何よりとんでもない雨だったので、気になっている店やオシャな店を諦めてチェーンの焼き鳥屋へ。

そこで、あんまり最近の事情を掴めていなかった友人たちの近況を聞く。うまくいっているようで何より。

 

ブルーマンデー

すこし憂鬱。雨だからか、ブルーマンデーか。


自分のブログに価値はあるのだろうか、とか考えちゃう。

自分の考えをきちんと言語化するのが目的で始めたのだから、日記自体に価値はなくても出力し続けなければならない。もし価値があるとしても、それは後からついてくる。

本を読んだことのアウトプットをブログなどなんらかの形で出力したいが、図書館で借りる本だけでは貸し出し日数の面で限界がある。

本を買いたいが、これ以上支出を増やしたくない。
日常の様々なタイミングで節約して、浮いたお金がわかる形で貯金し、それを書籍の購入資金に充てることで支出の増加を抑えられるのではないか。

外食をやめたら500円、居酒屋を我慢したら3000円。上手くやれれば結構貯まりそう。

 

ネバーランドは現世にあった

普段入り浸っているDiscordの寄り合いについて。

(現実を求めていない知り合い諸氏はちょっと読み飛ばしてください。)

 

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平日も休日も、夜になると誰かがゲームをしている。

この集まりは現世のネバーランド。大人になりきれない成人男性が集まる、地獄のような(やりとりをする)天国。

もちろん全員ではないが、自分は紛れもなくこの一員。アダルトチルドレン万歳。

いずれ、結婚したり社会に適応した人たちはここからいなくなるのだろう。

そのとき、この場にはどれだけ残るのだろう?残った人たちはやがてどうなっていくのだろう?

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そもそも、見知った仲の人たちが毎日集まる場が現世にあること自体、奇跡的だと思う。

こういった場が無い人たちが大量にSNSやVRChat(あれも広義のSNS)に流れている。

VRChatが流行るのは現実のコミュニティに欲求不満を抱えている人が山ほどいるからだと考えている。理由のすべてではないが、大きな要因であることは間違いない。


逆に、自分がVALVE INDEXを即買い*3してまでやりたかった、憧れていたVRChatが長続きしなかったのは、
「Discordのコミュニティがあるからいいや」
って思ったから。(相手の姿が見えないネット上のコミュニケーションが苦手なのも少々あるが……)

 

願わくばずっと存続させていたい、泡沫の夢。

とにかく、所属するコミュニティは大切にしたいですね。

(オタクシェアハウス計画、誰か実現させないかなー)

 

5/9

五月病

GWが終わって、五月病が辛い。頭が動かない、やる気が出ない、息苦しい。

今日が終わってほしいのに明日が来るのが辛いとき、生きるのが嫌になるんだと思う。

ちょっと前までは、始めたばかりの勉強が楽しかったから生きるのも楽しかった。明日が来るのが惜しいくらい今日が楽しかった。

切り抜けたい。

未来に起こる憂鬱に思うことを憂鬱じゃないと思うのが最短か。

以前からよく使う手法。なんとなく憂鬱に思うことについて、なぜそう思うか突き詰めて考える。意外と「大したことないじゃん」ってなることもある。

 

5/12

勉強と研究の違い

Twitterで見た、勉強と研究の違いについて。

大学院という場所はすごく潔い。

どんなによく本を読み、知識を集め鼻高々とそれを話しても、

「それで、私たちの知らないあなたの話を教えてください」

と言われてしまう。それではまるで空っぽを見抜かれるようである。

研究する人たちの興味や問題意識を最大限評価しようというところがフェアであり、その上にある研究活動が求められる場所である。地頭が良いとか要領がいいとか、頭の回転が速いとか、知識をよく記憶できるとか、...
そういうものをもっているかどうかではなく、それは道具であるというのである。
自分自身にあるもので、自分がどう考えていくかという部分にいつも焦点があたっている。

 

 

そのリプライ↓

研究室では、別に暗記王や知識王が偉い(知識が多いに越したことはないが)わけではないんだな、個人としての考察や興味関心と、調べてきたこととのシンクロ具合が見られているんだな、と感じました。


学問そのものについて学問しようとしている(詳細は過去の記事を見てね)けど、土台となる知識がないと何も考えられないよな、と思って色々なジャンルを読み散らかしていたところに刺さった。

↓過去記事↓

dnk.hatenadiary.com

ところで、本を読んで考える営みを、思考の深さを基準に並び替えると、「読書<勉強<研究」だと考えている。

読書を勉強にするには、自分の知識として引き出せるように自分なりに嚙み砕いて理解できたかが重要だと思う。

勉強を研究にするには、勉強して得た知識たち(複数)を自分の問題(テーマ)を解決するように、取捨選択して上手く活用することが必要だと思う。

さっと作ってみた。自分の中での概念図。関係ないけど実際のテトリス盤面は横幅10マス。

今は読書以上、勉強未満ってところか。研究者ってすごい。素人だけど、もっと深い段階までいきたい気持ちはある。難しいけど、頑張るべきところだと思う。
あと、考えたことは即座にメモを取らないと消えていくから、テンポが悪かったり、電車内だったりすると物理的な制限で上手くいかないことがある。

対策をぼんやり考えている。

 

書き散らし

あったかい泥に身体をうずめるような日常

勉強したいことが多過ぎてどれから手をつけるべきかわからない

 

5/21

潮騒

実は海の近く*4に住んでいるんですけど、そういえば引っ越してから約1年、一度も海見に行ってないなぁ、と寝る前に思ったので、翌日さっそく行ってきました。

海なし県で20年以上生まれ育ってきた自分には、一人で水に浸かってもやることが思いつかない。そこで、海といえば、『潮騒三島由紀夫積読)』でしょ、ということで、文庫本を持っていきました。

潮騒とン年ぶりの海岸

岩が積まれて海に突き出しているところ(写真見てイメージしてください。名称不明)に腰かけて、尻と腰がちょうどいいポイントを見つけたら、ひたすら海の音を聞きながら読書。
海からは潮干狩りのファミリーと中国人に、陸からはサイクリングのおっさんに「なにやってんだアイツ」という目を向けられながら読書。

海なし県民の記憶より断然迫力のある波の音と、少し汗ばむくらいの光線を浴びせる青空が物語にマッチして、これまでにない最高の読書体験でした。
普段露出しない腕が日焼けしてしばらくヒリヒリしてたのも、我ながら微笑ましかったです。

 

5/27

五月病(中等症)

重い足取りでホームの階段を上る。
身体の内、または心の内より湧き出るほんのりとした死の気配を感じながら、これからも生きる。

うまく言語化できないモヤモヤをずっと抱えております。
誰もいない部屋とかシャワー中に「ウワーーーーーーーーッ!!!!!」って叫びたくなるようなモヤモヤ。ない?

 

Web小説30年史

図書館で、『Web小説30年史』を読んでいる。

↓読んだ直後の感想↓

bookmeter.com

『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」 (星海社新書)』飯田 一史図書館で一気読み。以前、Web小説が人気になった経緯について調べたことがあったが、知らなかった情報が次々と出てきて面白かった。

なろうとカクヨムの間には得意とするジャンルに違いがあり、それはどのような戦略の違いから生まれたか。
そして、幾つもの小説投稿サイトがなろう・カクヨムのようにユーザーが定着することなく撤退していった理由について掘り下げており、興味深かった。

「Web小説発の書籍を買うのは3,40代」という言説はこの本以外でもよく見るが、ここだけいつも実感と噛み合わなくてモヤる。

 

純文学のジャンルがネット小説に進出していない、という話について。なろうにもカクヨムにも純文学というジャンルは用意されている。

しかし、現実には投稿数が他のジャンルよりも圧倒的に少ないだけでなく、投稿されている作品も純文学がどういったものかいまいちピンときてないものが多い。正直僕もよく知らない。

なんというかこう、「お手本」になるような作品があると、後に続く作家も興味を持つ読者も増える気がする。

文献や先行研究が乏しいジャンルなのに、かなり熱心に調査しており、終始感心しながら読んでいた。

以前調べものをしていたときに見た主張であり、持論でもある、
「書き手も読み手もジャンルのお約束を了解した上で、差分を楽しむ」
というWeb小説の魅力の一つが、ここで裏付けが取れて得した気分。

創作のジャンルについて。

ネット小説では比較的よくある型である「クラス転移モノ」「魔王転生モノ」「悪役令嬢モノ」は、ネット小説投稿サイトの中ではどれもサブジャンルとして定着している。

一方、文芸市場や、一般の文芸作品の読者から見たら、すべてひっくるめて「ファンタジー」か、せいぜい「異世界ファンタジー」と括られるだろう。

この差は、「お約束」が読み手・書き手ともに了解され、差分を楽しむ準備ができているか否か、という形で現れる。

というよりも逆に、類似作品が増えて、差分を楽しむ準備ができたとき、それをジャンルと呼ぶのかもしれない。

 

Web小説をそのまま書籍化すると、一般の読者が「ファンタジー」のお約束しか理解できていないのに、
「ファンタジー」で
異世界ファンタジー」で
「転生・転移モノ」の下位ジャンルである
「クラス転移モノ」
のお約束を知ってる前提で話を進められていることになりかねない。

この温度差や突っ走っている感覚が、一般の文芸作品と比較したときのWeb小説特有の雰囲気なのかもしれない。

現実には、書籍化の際に編集者が指摘して、少なからず表現を変えたり描写を調節するのだろうけど。

 

話は逸れるが、

「Web小説はメディアによって読者層が異なる」

「投稿サイトで読むのは10代~20代で、書籍化作品を買うのは30代以上」

という言説をよく聞く。Web小説ファンならそれなりの人がこの主張を見聞きしたことがあるだろう。

僕は、これに関してずっと懐疑的な態度を取っていた*5が、今日からは概ね同意することにした。

今日(ブログ執筆日)の昼間、ブックオフに行ったのだが、カラフルな背表紙の四六判が並んだノベル棚に群がっていたのは若者ではなく白髪交じりの中年男女だった。

……作品に貴賤はないが、将来あの中に自分がいるかもしれないと考えると、少し思うところがあった……。

 

5/29

紳士と傘

定時後に電車で移動。1時間くらい座りっぱなし。長い。

途中で隣に座ってきた人の話。定年前くらいに見える男性だった。灰みがかった総白髪で褐色の肌でスーツを着ている。身長165cmの自分と比べると、だいぶ大柄だ。スポーツをやっていたに違いない。

ビニール傘のハンドル部分を握り、杖のように床に立てているそのおじさんは、見るからに眠そうで、隣の座席で舟をこいでいるなとすぐにわかった。

一駅ほど進んだ頃、傘をビタンッと倒し、その音で跳ね起きる。傘を持ち直し、また舟をこぎ始めると、今度は石突きを床に滑らせて、それでガクッとなって起きる……と繰り返し、たっぷり5,6ループ披露したのちに、終点で去っていった。

普通にびっくりする音なので周りの注目を集めていたが、最後まで気づいていない風だった。

それなりに身なりのいいサラリーマンに見えたけど、いい歳しても眠くて堪らないようだ。激務なのだろうか。気の毒ではあるが、自分はああなりたくない。

なんとかして有閑階級になりたい。

 

5/31

最悪でも死ぬだけ

気分は相変わらず落ち込んでいる。低気圧か?

いつからだろうか、シャワーを浴びていたり、会社の昼休みに休憩室で横になっていると、癖みたいにふんわりと死にたいと思うようになってしまった。

メンタル上よくないと思う反面、ふと思ったのは、

「最悪でも死ねば終わるんだから、どんな事象にも他人事みたいに接せるし、ハイリスクな選択も機を逸せず、臆さずできる。最悪でも怪我したり借金を背負うだけだし、どうしようもなくなっても死ぬだけだし。」

みたいな思考。リセットボタン、あるじゃん!

 

変な方向にポジティブかも。

 

6/3

それは「『”趣味を消費している自分”をメタ認知して律する自分』を消費している」だけではないか?

用事があって名古屋に行った。

一人になった後、いつもなら喫茶店か飯でも食べていくところだけど、栄のブックオフに寄った後、名駅まで歩いてそのまま帰った。

ここしばらくの浪費癖を反省して節制志向に傾いているのと、『暇と退屈の倫理学』の“消費”の話を読んで、趣味の飲食店開拓に対して一歩引いた目で見てしまうようになったのが合体して、有体に言えばかなりケチになっている気がする。

我ながら一人でエスカレートしやすい傾向があると思う。ネトゲスマブラにハマったのもこのおかげに違いない。損することはあるけど、嫌いではない。

 

おわり

以上です。

気分が乱高下していますね。

キリがいい5月31日で切らずに今日まで入れてよかった。月末が暗すぎる。

きっと、すべて五月病のせいです。

 

それでは、6月(休祝日なし!梅雨!低気圧!)も、みなさん元気にいきましょう。

 

 

海の日、早くこねーかな

 

*1:ネーミングはカードゲーマーが言う「デッキの赤ちゃん」を拝借しました

*2:正式名称は『ニコロデオン オールスター大乱闘』スポンジボブとかタートルズが出るスマブラライクのゲーム。スピード感がスマブラDXに近く、慣れたらクセになる。

*3:16万。正直あまり使ってない。使用時間あたりの価格は自分の買ったもので最高クラスだが、後悔はしていない

*4:自転車で20分くらい

*5:理由は単純で、Web小説の書籍化作品を読む大人を見たことがないから。

岐阜スマ15にスタッフとして参加しました。~日記とスマオフコミュニティ論考~

世間はゴールデンウィークですが、暇なのでブログを書いています。

 

 

スタッフとして参加した岐阜スマ

4月30日には、友人が主催している『岐阜スマ15』というスマブラの大会に、スタッフとして参加してきました。

岐阜スマは文字通り岐阜駅で開催しているスマブラの大会です。

twitter.com

 

主にコロナのアレがソレだったりして、前回の2022年1月にあったC-seaという団体とのコラボ大会から約1年3か月ぶりの開催です。最後に単独開催した『岐阜スマ14』は2021年8月の開催なので、なんと1年8か月ぶりです。

 

全15回の大会に加え、数回の小規模対戦会やコラボ開催の、その全てに参加してきたのはおそらく僕だけでしょう。少し誇らしい気持ちです。

前々回の『岐阜スマ14』まではスタッフ兼選手としての参加でした。戦績は、調子がよければリザルト(上位4分の1程度)に乗るくらいだったはずです。

今では選手としては活動していませんが、岐阜のオフスマブラコミュニティの一員として、岐阜スマには今後も関わっていきたい所存であります。岐阜在住じゃないけど。

 

 

今日の目標は「言い訳をしない」こと

今回の岐阜スマはスタッフとしての参加と決めていましたが、フリー対戦はやる気でした。

一方、腕の方はやる気に追いついていません。スマブラを引退してからは、数か月に一度起動する程度で、鈍りきっていました。たまに対戦するときも、コンボを落としたり立ち回りの劣化を感じる度に「久しぶりすぎて動かない!」などと見苦しい言い訳を繰り返していました。

 

そこで、今回の岐阜スマでは、フリー対戦中に「久しぶりだから」という言い訳を絶対にしないという縛りを自分に課して、大会に向けて準備することにしました。

事前に名古屋のゲームバーやオンラインでリハビリしたり、大会前日には友人宅で調整したり、まるで選手のような真面目さでした。

 

地元感と地方オフコミュニティの在り方について

大会の朝

大会当日の朝。前日に調整した友人宅に泊まったので、車で送迎してもらいました。

極めて珍しく会場に一番乗りしたので、鍵を受け取ります。

1年以上ぶりに会うスタッフの面々を懐かしみつつ荷物の搬入へ。

そこからは、会場の設営と受付の手伝いをして開会に臨みます。

 

会場の設営風景。電源のある外周と床に対戦台(40人規模で16台)を設置。雑編集ごめんね。

 

10時になり、受付開始。

受付「おはようございます。お名前と参加枠を教えてください。」

参加者「〇〇です、一般枠です。」

受付「参加費1000円です。……はい、ありがとうございます。」

ダンク「名札をお渡ししますので、こちらで記入お願いします。」

参加者「あ、ダンクくん久しぶり!大会出るの?」

ダンク「今日はスタッフだけですね、あとでフリーやりましょ!」

 

こんなやり取りを繰り返しながら、受付待ちの列を捌いていきます。

今回の40人の出場者のうち、過去の大会で知ってる人が6割、初めての人が4割、といったところでしょうか。

高頻度で開催していた頃に比べて、知らない選手の割合が増えていた気がします。それと同時に、常連だった岐阜のオフスマ勢の多くが来てくれて嬉しかったです。なんだか地元感というか、同窓会をしている気になりました。

 

「みんなに会うために来た」

受付を終え、参加者に話を聞いていると、「強い人と対戦したい」「腕試しに来た」というメインの層に加え、「最近はそんなに真面目にスマブラしてないけど、みんなに会うために岐阜スマに来た」人たちがそこそこいたのが驚きました。
要は僕と同じような人たちですが、岐阜スマというコンテンツ、または岐阜のスマブラコミュニティ自体が目的になるほど魅力に感じてもらえている人が他にもいることを認識できて非常に嬉しく思います。

 

思うに、e-Sportsというと、「プロゲーマーの世界」だとか「限界を極めた闘い」をイメージしがちですが、「競技スマブラをみんなで楽しむ」ことも立派なe-Sportsではないでしょうか。むしろ今更ですかね?

ちょうど、ママさんバレーをはじめとした社会人スポーツクラブが必ずしも競技性を求めていないのに近い気がします。

 

脱線1:コミュニティ形成の場としての小規模オフ大会・対戦会

(オフ大会の記録から脱線して、ちょっと長くなります)

 

海外プロも多数参加する篝火や、岐阜スマと同日開催だったマエスマのような大規模大会は、文句なしに競技スマブラの国内最高峰(だよね?)*1です。ここでは、”最強”を目指したスマブラーが鎬を削っていますし、そうであるべきだと思います。
これに対して小規模の地方オフ大会・対戦会は、これまで主な需要だった腕試しや練習の場であると同時に、オフコミュニティの形成と維持の場として一役買っており、これこそが地方オフ大会のあるべき姿だと実感しています。

 

これは、オンオフ問わず、他の会合ではなかなか代えが利かないことだと思います。

レベルの高い大規模大会では、どうしても結果を重視しがちになります。

より規模の小さい宅オフでは、すでに親しい人か、最低でもSNSで知り合っている人としか集まれません。

Discordのキャラ窓やTwitterのコミュニティに帰属意識を持てる人もいますが、そうでない人にはオフで不特定の人と繋がれる場は貴重です。

 

このコミュニティ形成・維持の側面は、競技者としてスマブラに触れてきたときはあまり考えてこなかったことですが、スマブラというコンテンツから勝敗を取り上げて接するようになり、強く意識するようになりました。

 

特に、ゲームが趣味の社会人は、休日に会う人が少なくなりがちだと思います。スマブラをはじめとするオフのゲームコミュニティでゆるく繋がるのはかなりおすすめだと思います。実際、岐阜スマの参加者も社会人が多いです。*2

 

 

脱線2:岐阜スマの初心者向け施策

岐阜スマは、学生の文化祭の出し物から始まったスマブラ大会です。

主催の意向やスタッフの思いつきを反映して、初期の頃から「楽しむこと」を重視した運営をしています。

 

などなど。こうした施策が、アットホームな空気を感じさせ、参加への敷居を下げ、リピーターの獲得、ひいてはコミュニティ形成・拡大への一助となったのかもしれません。


勝手にヒリつくフリー対戦

フリー台解放

大会に話を戻します。予選が始まると、対戦台の周りをうろうろして対戦ルールがわからない初心者や、フリー台について問い合わせたい見学枠の方のサポートを行いました。飲食店のフロアのバイトはこんな感じかと想像したり。(多分違う)

 

試合を眺めていると、前回の大会から1年以上が経っているだけあって、参加者のレベルが全体的に上がっているのを感じました。置いて行かれた気持ちを抱きつつ、今でも真面目に取り組んでいたら自分もこれくらいになったんだろうなと、選ばなかった世界を少し遠く眩しく思いながら試合を眺めていました。

 

申し訳程度のスタッフ業を済ませ、出場していた知人や前日に泊めてくれた友人を観戦していると、すぐに総当たりの予選が終了し、本戦までの1時間半程度は全台フリー対戦可能に。

 

ついに来たかと、昼食に出かけてやや減った周囲の参加者に対戦を呼びかけると、一人が対戦台に。

その人はどうやら、以前の大会で僕の対戦を見たことがあったようです。

 

ダンク「予選、どうでしたか?」

相手「いやぁ、全敗でした!でも、めっちゃ楽しかったです!」

ダンク「そう言って頂けたならスタッフ冥利に尽きるってもんです。みんな、すっごい強いですよね!」

相手「ほんと強い人ばっかりですね!……あの、一宮であった岐阜スマとc-seaのコラボ大会で、ダンクさんが知り合いとフリー対戦してて、ボコボコにしてるのを見てました!あのときみたいに、僕も指導してもらってもいいですか?いくらでもボコボコにしてもらって大丈夫なので!」

ダンク「あ、そうだったんですね!もちろんいいですよ!(やべえ)」

 

こいつは負けられないぞ。「思ってたほどじゃなかった」とガッカリさせまいと背中に冷や汗をかきながら対戦台へ座りました。

 

自分は何と戦っていたんだ

キャラ選択。
こちらはゲッチ、相手はピット。かつて対戦機会が多かったため、比較的対策を覚えており少し安心。

 

対戦。ピットのガーキャンSJ空Nはしゃがみ姿勢で当たらない。小ネタを披露しつつ、ピットの下B(衛星ガーティアンズ)を無効化する真下からの空上で(心理的)アドバンテージを稼ぐ。

しかし、現役時代よりも空下着地に頼りすぎていたり、差し込みが単調で引き横スマに引っかかっていたり、着地狩りの読みあいを通せずターン継続が途切れていたりで、思うように立ち回れない。内心焦る。

 

結局、対戦結果としては1ストック0%を残して勝利だった。対戦中の細かい記憶は薄れてしまったが、たった一戦のうちに変な汗をかいてヒートテックの背中と脇が湿っていた不快感と、かつての自分の面子を保った安堵だけは強く刻まれている。

 

自分の主観では決して「ボコボコにし」たと納得できる立ち回りではなかった。

ついつい、「これで今日全敗ですか!?」みたいに褒めるふりをして誤魔化してしまった。半分以上は本心だし、実際全敗にしては上手かったと思う。

 

7,8戦くらい対戦して、なんとか全勝は維持した。

 

後から考えると、対戦相手の方を通じて過去の自分と対戦していた気がした。普通に失礼な話だと思う。

 

とりあえず、今日のNGワード「久しぶりだから」は発さずに切り抜けられたので合格点。対戦中に上手くいかなかったのは実力不足。

 

なんだかんだ楽しかった

本戦が始まったらトーナメント運営の勉強とお手伝いを少ししつつ、本戦のルールを周知しながら会場を歩き回って観戦していました。学生時代のコミュニティの友人とスマブラコミュニティの知人が対戦していて面白かったです。

 

大会が進行するにつれ対戦に必要な台が減ってきたので、再びフリー対戦へ。

午前中に「フリー台はいつ解放される?」と問い合わせていた初参加の見学枠の方と対戦したり*3、初めてオフ大会に来た参加者の方*4に愛知・岐阜のオフ大会を案内しつつ、対戦*5しました。

 

スマブラオフ界隈にはこれからも浸かりたい

そんなこんなで、同窓会じみた再開も、新規の方との交流も、フリー対戦も全て上手くいって、大満足の一日でした。

中でも、ある参加者とのフリー対戦前の会話で、この日で一番嬉しかったことがありました。

それは、初参加の方からの何気ない一言で、

 

「——それで、岐阜スマは次から毎回行こうと思うんですけど、——」

 

マジで!?毎回来てくれるの!?やったーーーーーーー!!!!!

 

ちょうど、参加者にリピーターが多いと嬉しいけど、内輪っぽくなって新規の方に疎外感があるとマズいな、と思っていたので、この一言で岐阜スマ15は大成功だったと確信しました。

 

ということで、久しぶりに行った岐阜スマの空気感がすごくよかったので、今後も積極的に顔を出したいと思います。

 

 

スタッフの皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

みんなもまたフリーやりましょう。楽しくやれるように鍛えておきます。

 

 

*1:スマブラ動画をほとんど見ないのであまり詳しくない

*2:初期の岐阜スマ(2017~19)は参加者は高校生~大学生が多く、中学生の参加者もチラホラと見えました。それに対し、最近は大学生~社会人、30代の割合が高いイメージです。選手層がそのまま持ち上がっているだけかもしれませんが。

*3:デイジー使いの方。一戦でボム兵2つと婆カブを出して来たので仕返しにジャッジ9を決めていたら、同席していた剣キャラ使いの方がドン引きしていて面白かった

*4:東海圏にオフが無さすぎると思って、自分で開こうと考えていたらしい。

*5:ほぼ全敗らしく、何を出そうか迷っていたら「メインで」と言われたので、ゲッチで3タテした。すると、「友人呼んできていいですか!?」「ダンクさん固定で回しましょう!」と打診があり、2人相手にゲッチ道場した。初々しくてとてもよかった。

そうぞう力

突然ですが、僕は非生産的なオタクです。

主にゲームとラノベ、その他コンテンツを大量に消費するくせに情報発信も創作もしていません。

 

絵を描ける人、すごいなー

このゲームの世界設定、学生の頃から書き溜めてたんだって。すごいねー

 

って具合に、他人の才能を羨むばかり。具体的な行動はしないか、思い出したように何か始めても、すぐに諦めてしまう。そんな自分にうっすらとコンプレックスを抱えたまま、早数年(十数年?)が経ってしまいました。

 

 

思えば、子供の頃から極めて“いい子”だった代わりに、想像力の乏しい子供だった気がします。

 

物語は読まず、テレビの歌番組には興味を示さず、絵も全く描きませんでした。

保育園で渡された自由帳が卒園までの3年間で2,3ページしか埋まってなかったり、人間の絵は全て棒人間で誤魔化したり、そういったエピソードが山ほどあります。それなりに筋金入りだと思います。

ちょっと思い出したら埋まりたくなってきたので記憶を掘り起こすのはこの辺にしようと思います。

 

 

しかし、いつまでも嫌いだ苦手だと言ってられないなと思う事が随分と増えました。

仕事でもプライベートでもカラオケに行く機会はそこそこあります。また、強制でないにしても、「絵が描けたら」「文章が書けたら」と思うことは数知れずあります。特に、TRPGのシナリオを考えるとき、小説を書きたいと思ったとき、そして今ブログを書きたいときのように。

 

 

それじゃ、いっちょ対策するぜっ、と思ったのですが、そもそも自分が足りないのは想像力でしょうか?それとも創造力?

 

ちょっとコトバンクさんに聞いてきました。

デジタル大辞泉の解説で比べてみましょう。

 

そう‐ぞう〔サウザウ〕【想像】
[名](スル)実際には経験していない事柄などを推し量ること。また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。

 

そう‐ぞう〔サウザウ〕【創造】
[名](スル)
1 新しいものを初めてつくり出すこと。「文化を創造する」「創造的な仕事」「創造力」

 

 

なるほど。想像はゼロからイチをイメージすることで、創造は想像したものを現実にすること、ですね。

関係を表すと、

 

創造力=想像力+技術

 

こんな感じですかね?

ここでの技術は、想像を現実世界に何らかの形で表出させるためのテクニックを指しています。

 

翻って、自分はどうでしょうか?

どちらかと言えば想像力の方に不安がある気がします。

 

では、これまでの経験から、想像力・創造力を高めていく上で何ができるか考えていきましょう。

 

【想像力を高める】

  • フィクションに触れる
  • ネタをメモする
  • 日々、空想する(?)
  •  

(思いつかない)

 

【技術を高める】

  • 文字を書く
  • ヒトカラで練習する
  • 各種テクニックの書籍・動画に当たる

 

今ぱっと思いつくのは、こんな感じですかね。

とりあえず技術の方はじわじわと練習しています(このブログも練習の一環です)が、想像力って難しいですよね。性格とか頭の作りの部分が大きい気がしますし、何から取り組めばいいのやら。

 

まあ、フィクションだけが創造ではないとも思いますし、何かしらのアウトプットが出せるように、ちまちま取り組んでいけたらいいなと思います。

「教養」と「劣等感」と「何者かになる」こと

こんばんは、ダンクです。

 

今回の話の簡易まとめ

  • いろんな本を読んでいます
  • 教養を身に着けたい
  • 学問の相関図を作りたい

 

 

教養オタクと化す春

最近、よく図書館で本を読んでいます。

図書館にはこれまでも月1の頻度で通ってましたが、現在は週に2,3回の頻度です。

ざっくり10倍。我ながらすごいですね。

読んだ本は4月1日~23日で26冊。たぶん人生最高ペース。

 

(↓最近始めた読書メーターです。読んだ本の感想をできるだけ書くようにしています。)

 

 

きっかけは3月上旬、知り合いに対して図書館の魅力(+なろう小説)についてプレゼンする機会があったときのことです。

せっかくプレゼンするなら本気でやってやろうと、改めて図書館についての本を探していたら、この本を見つけました。

教養の書|戸田山 和久(筑摩書房

この本は、

  • 教養とは何か(単なる物知りとは何が違うか)
  • 教養はなぜ大切か
  • 教養はどうすれば身につくか

というテーマに対してわかりやすく解説していく、高校生~新大1生向けの本です。

 

この本が、「なんとなく何か学びたいけど、何を学びたいか自分でもよくわからん」と思いながら適当な入門書や新書をめくっていた自分にクリティカルヒットでした。

 

ぜひとも読んでほしいのでネタバレにならない程度に超要約すると、「教養を身につける過程そのものが教養」らしいです。「教養する」っていう語用があるみたいに。教養人から教養を感じるのは、弛まず教養しているからなんですね。

 

 

「あなたのモチベはどこから?」「私は劣等感から」

そもそも、僕が熱心に教養しようとしているのは、同じ体験や同じ話題を共有していても、教養の有無によって得られる情報量や見えてくるものがまるで違う気がしたからです。

 

例えば、同じ映画を見ている知人との会話で、

「このシーン、ゲーム理論じゃね?」

と言われたときに、”ゲーム理論”という概念を(名前しか)知らない僕は、”ゲーム理論”というフレーズでうまく説明できる物事の関連性、一貫性を見逃してしまう。そして、見逃していたことそのものを、友人にわざわざ口に出してもらうまで認識できない。

 

なんとなく想像できませんか?

実体験ベースですが、教養が無いからここで具体例をうまく挙げられなかった。

ほんとのところ、実際にはどんな会話だったか覚えてないんです。哲学関連の用語だったはず。知らない情報はノイズとして認識してしまう。これも無教養の悲しく恐ろしいところだと思います。

 

 

名前だけは知っていても、何も説明できない概念は山ほどあります。

そして、名前すら知らない、つまり自分が知らないことすら知らない概念は、それよりも遥かに多い。

この「無知の無知の知」(『教養の書』の受け売り)を理解しながらも、少しずつ学んでいくプロセス、それ自体が「教養」なんだと思います。

 

まあ、早い話が、「会話や経験をより高度に理解したい」ということですね。

もっと乱暴に言うなら、「もっと上手いことを言いたい」「頭がよくなりたい」という欲望なんだと思います。

 

 

学問を一望するために

そんなこんなで教養を身につけるべく本の海に頭を突っ込んだわけですが、手あたり次第に本を読むのは無謀だとすぐに思い知りました。

全部読むにはあまりにも量が多すぎる。残念ながら本の海に突っ込める頭は1個だけです。

 

そして何より、図書館で手当たり次第に専門書を読んでいて気付いたこと。

それは、「何学があるのかすら知らない」ことでした。

 

 

いきなりオタクな話題で恐縮ですが、シェルノサージュの話をさせてください。

 

このゲーム(便宜上ゲームと呼びます)は、イオンというほとんどの記憶を失った女の子とコミュニケーションを取る作品です。

この作品中で重要なポジションとなるイオンの記憶の修復は、「夢セカイ」という世界で深層に眠る記憶を追体験する形で行われます。

それぞれのチャプターは「扉」という単位で管理されています。第1の扉では町中、第2の扉はある人物の屋敷、といった感じで、大場面ごとに異なる扉の中で進行していきます。(実際のストーリーとは少し異なります)

 

扉の中の世界。壊れている風景(=イオンの記憶)を修復することで
ストーリーを追体験できる。 -シェルノサージュDXオンラインマニュアルより引用

 

ここで、なぜ突然『シェルノサージュ』の話をしたかというと、専門書を読んでいるうちに「学問ジャンル=扉」そして「専門書=扉の中の1シナリオ」と感じるようになったからです。

いたずらに専門書を読むのは、時系列順に揃っていないバラバラのシナリオを事前説明もなく見ているようなものです。

ましてや、画像のようにチャプター選択画面から扉自体(=学問の全体像や他学問とのつながり)を見ることは非常に困難です。
高次元から俯瞰して見る領域まで自力で達するには、いくら時間がかかるか気が遠くなりそうです。

ダイブゲート(夢セカイ入口) -シェルノサージュDXオンラインマニュアルより引用

 

そんな中、ある友人へ『教養の書』を見せ、自分が勉強していることを話したら、幸運にも興味を持ってくれました。

それだけでなく、なんとその友人は図書館のレファレンスサービスで、「学問の分類と、それがどういったものであるかの解説がなされている本が読みたい」と問い合わせてくれました。

 

図書館からの解答では、いくつかの本と、国内外の官公庁発行の分類表が紹介されていました。

 

紹介された本は、わかりやすいものから専門的なものまで揃っており、大いに参考になりました。

(学問のしくみ事典、買いました。)

学問のしくみ事典|茂木健一郎著 日本実業出版編

こっちもよかったです。

学科系統分類表(文部科学省

https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08121201/003/004.pdf

 

 

しかし、これらの素晴らしい書籍、詳細な資料を当たって、それでも満足できない要素がありました。

それは、「下位のジャンルでは何を扱っているかわからない」こと、「学問と学問のつながりがわからない」こと、そして、「学問のおもしろさが伝わらない」ことです。

 

先ほどのシェルノサージュの喩えでいくと、「それぞれの扉や扉の中で起きるイベントの説明は上手くされていたが、第1の扉と第2の扉がどう繋がっているかわからない」ということです(この説明伝わってる???)

できれば、キャラクターの相関図のように学問の相関図があることを期待していたので、正直言えば少しガッカリしました。

 

 

「学問を学問する人」になりたい

そんなわけで、今、図書館で本を読み漁っています。

現時点での目的は次の2つ。

 

  • 教養を身に着けたい
  • 学問の相関図を作りたい

 

今は、
「世の中には何の学問があるのかわからない」
から、

精々、
「〇〇学が何をしている学問かわからない」
「学問間のつながりがわからない」等々......
に微ランクアップした程度の手さぐり状態です。ここから少しでも効率よく、またモチベーションを維持して進めていけるように、できるだけ体系立てて進めていければと思っています。

 

とりあえずの方針は、学問や勉強すること自体に焦点を当てた本を読みながら、興味のあるジャンルを入門書から徐々に掘り進めていこうと思っています。

NDC(日本十進分類法)で言うと、002(知識、学問、学術)、379(社会教育)あたりに目星を付けています。

 

成果物としては、ナビスコラの学問分野相関図のようなものをベースに、より粒度を細かく、そして詳細の説明を読めるようにしたものが、今考える理想です。

 

もし公開するなら媒体は紙かWebページになるとは思いますが、Web構築のスキルなんてないので、とりあえず考えないでおきます。自分用に作って満足するかもしれないし、そもそも納得いく形になるかもわからないので。

 

navischola.app

ぼくのかんがえた理想の学問相関図

 

こんな感じで、最近はおもしろそうなことを考えています。まあ、正直なところ実現度は非常に低いですが、理想だけ描いても仕方ないのでダメ元でやってみます。

この学習の経過はこのブログでちまちまと発信しようと思っています。

誰も待っている人はいないし、作るって公言してるわけでもないので、気楽にいきたいですね。

 

……と、ここまで書きながら、(あっ、今ブログで作るって公言してるじゃん、引き返せないじゃん)と思って随分と記事の公開を躊躇っていましたが、今、珍しくアルコールが入ってるのでノリで上げちゃいます。

 

正直、自信ない要素は山ほどあるんですよね。社会人で時間あんまりないし、そもそも大学出てないし、高専すら留年してるし。

だからか、たまに頭の中のあの辺り(後頭部の真後ろから、やや斜め右上20cmあたり)*1から声がするんですよね、「いや、だから無理だって笑」って。ほら、今も。

 

まあ、とりあえず、メンタルが無事なうちは無視しておきましょう。

 

 

ということで、これからよろしくお願いします。

あー、学問を学問する人になりたいなー。

*1:座標的には頭の外だけど、感覚的な話。

このブログについて

はじめまして、ダンクです。

 

 

私は誰か?

ダンクです。高専卒で社会人をしています。

いつの間にか20代も折り返しの歳になっていました。

 

学生の頃から2年くらい前までは本気でスマブラをやっていました。

時間があればネトゲも再開したいのですが、さすがに難しいですね。

 

今は市立の図書館でひっそりと本を読んでいます。

 

 

 

このブログは?

このブログは、文章を書く練習と最近趣味で進めている勉強の動機づくりを兼ねています。

  • 好きなこと
  • イベントとか最近やったこと
  • 勉強したこと
  • 普段考えてるけど口に出す機会がないこと

を思いついたままに公開する予定です。

興味のある人はほとんどいないと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

 

 

好きなもの

  • ゲーム
    スマブラのオタクでした。今でもオフ大会のスタッフをやっています。
    もうすぐ久しぶりの大会があるので行きます。選手としては出ませんが楽しみです。

    他にはアトリエシリーズとサージュコンチェルト、拡張少女系トライナリーが好きです。そういえば全部ガストブランドですね。

    あとは、GGSTなんかもやります。
    始めたらドハマリして、しばらく経ったら全く触らなくなるタイプのゲーマーです。

 

  • ボドゲ
    ハートオブクラウン、プエルトリコ、インサイダーあたりが好きです。

    以前は近所のボドゲカフェに通ってましたが、今の住所に引っ越した1年前くらいからあんまり触らなくなりました。相手がいないからですね。

 

  • 図書館
    知らない本が好きなだけ読み放題で、静かで集中できて、しかも無料。
    図書館ってどこも同じに見えて、意外と蔵書や配架に特色が出るんですよ。旅行先の図書館とか行ってみたいです。

    本棚に余裕が無いため本はあまり買いません。基本的に図書館で借りて読んでます。後から読み返したい本や、手元に置いておきたい本を買い揃えています。

 

  • 茶店
    家ではついゲームに手が伸びてしまいがちです。中々本を読めないので、喫茶店で本を読みます。次第にいろんな喫茶店に行くようになりました。どちらかと言えば薄暗い純喫茶が好きですが、ケーキとかパフェが置いてあるようなところに行ったら、ついつい頼んじゃいます。

 

  • その他いろいろ
    機会があれば触れようと思っています。

こんな感じです。
それでは、また。